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第15回「恋人がサンタクロース」の巻

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第15回は、この季節に相応しい松任谷由実(ユーミン)さんの「恋人がサンタクロース」です。この曲は、昭和55(1980)年にリリースされたユーミンの10枚目のアルバム「Surf & Snow」に収録された楽曲で、山下達郎さんの「 クリスマス・イブ 」と並んで我々世代の代表的なクリスマスソングとなっています。(と、ここまで書いて気付きましたが、当時は洋楽でもWham!の Last Christmas やJohn Lennonの Happy Xmas など素敵なクリスマスソングがヒットしましたが、最近はとんと聞きません。私が知らないだけでしょうか?) コラムニストの小田嶋隆さんによれば、この曲のヒットでクリスマスが、「サンタクロースと子供たちのイベント・宗教行事から恋人たちの一大恋愛イベントに変わった。」とのことですw 確かに、自分が子供の頃に、年頃のお嬢さんにプレゼントを配るサンタクロースなんて、聞いたことなかったですねww それでは、ウチのMEIKOが本家のユーミンに寄せて歌ってみました、「恋人がサンタクロース」です。お聞きください。 いかがでしたでしょうか? 今回もいつものピアプロから、ちゃー子さま、Kottouyaさま、智(とも)さま、ARAQさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ところで、この曲のオリジナルで は、松原正樹さんというギタリストが演奏しています。一般には馴染みのない方ですが、昭和50~60年代にかけてスタジオミュージシャンとして、ユーミンを始め、松田聖子さんや松山千春さん、徳永英明さんなど当時の名だたるミュージシャンのレコーディングに参加し、トータルの録音した楽曲はなんと1万曲以上! その中でもこの「恋人がサンタクロース」は、 松山千春さんの「 長い夜 」や松田聖子さんの「 時間の国のアリス 」などと並んで彼の名演の一つとして評価されています。 平成28(2016)年2月、この曲を作るためにギターを頑張ってコピーしていたちょうどその時、彼の訃報に接し、偶然とはいえ何か因縁めいたものを感じてしまいました。享年61歳、お元気であればまだまだ素敵なギターが演奏できる年齢なのに、・・残念です。合掌。 さて、恒例のお口(耳?)直しですが、本来であれば松原さんが演奏したオリジナル版をご紹介したいところですが、これが見

第14回「一触即発」の巻

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(自分で言うのもなんですが、) 大作です。今までご紹介した曲の演奏時間は大体3~4分に対して、この曲は何と11分29秒! ネットでバンドスコアを発見した時には、大変な作業になるのは分かっていたのですが、思い入れのある曲だったので、思い切って挑戦してみましたが、やっぱり大変でしたw 通常の曲は休日の 空いた時間に作業して1ヵ月位で仕上がるのですが、この曲は完成まで約4ヵ月。長いだけでなく、途中、頻繁に転調になるわ、拍が変わるわ、ギターは難しいわ、ドラムやベースのパターンは複雑と、途中で投げ出したくなりましたが、なんとか仕上げました。 という訳で、今回の曲は、日本のプログレッシブ・ロック(通称:プログレ)の代表曲、四人囃子の「一触即発」です。 (このブログを見に来ている皆さんはご存知かとは思いますが、)「プログレッシブ・ロック」というのは、ロックの一ジャンルで、電子楽器を多用して、クラッシックなどの他ジャンルの音楽のエッセンスを取り入れ、歌よりもインストゥルメンタルが中心の楽曲で、代表的なバンドとしては、Pink FloydやYesなどが有名です。 今回ご紹介する四人囃子は、日本の代表的なプログレ・バンドで、昭和44(1969)年頃、高校在学中であったギターの森園勝敏さんとドラムの岡井大二さんを中心に結成され、この「一触即発」は、昭和49(1974)年にリリースされた彼らの同名のデビューアルバムの中の1曲です。一般的には殆ど知られていませんが、当時のロック小僧の間では、知る人ぞ知る日本のプログレを代表する1曲として評価されています。 それでは、渾身の1曲です。四人囃子のカバーで「一触即発」をお聞きください。 いかがでしたでしょうか。(それにしても高校時代にこの曲をライブで演奏したT君やK君、Iさん、U君はホントに上手でした。わかる人にしかわからない話ですが、・・) さて、今回はインストゥルメンタルが中心の楽曲なので、初の試みとして高校時代のお友達がFBに投稿した写真を利用させていただきました。(Kさん、Aくん、Kくん、ありがとうございました。)また、いつものピアプロからnezukiさま、壱加さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 プログレが流行していたのは、昭和40年代半ば(1970年頃)から50年代(1980年代半ば)にかけてですが、

第13回「DIAMONDS」の巻

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今回は、冒頭まず皆さんにお詫びしなければなりません。というのも、このブログを始めるに当たってタイトルを決めるときに、「自分がカバーする曲は昭和以降の曲はないだろう。」と考えて、「ギターとボカロと昭和の日々」としたのですが、今回ご紹介する「DIAMONDS」のリリースは、後から分かったのですが、平成元年( 1989 年)4月ということで、わずか4カ月ではありますが、昭和から平成の御代になってからの楽曲であり、「看板に偽りあり」となってしまいました。申し訳ございません m(__)m というわけで、今回ご紹介する「DIAMONDS」ですが、当時としては珍しかった女性だけのロックバンド、プリンセス プリンセス(略称:プリプリ)の代表曲であり、レコード(CD)の総売上げ枚数は累計170万枚、平成元年のオリコンチャート第1位、この曲のヒットによりプリプリは、史上最も商業的に成功したガールズバンドと言われるようになりました。 ウチの長女は、ちょうど彼女たちが人気絶頂の頃に生まれたのですが、半ば冗談半ば本気で、プリプリのボーカルである奥居香さんのようになってくれたらと思い、生後間もない彼女を抱っこして手を振って、「みんなどうもありがとう!」とコンサートで観客の声援に応える仕草をさせたものでした。(そんな彼女も今では堅気の勤め人として毎日真面目に会社に行ってます。) さて、今回の曲の仕上がりですが、アップテンポでビートのきいたこの曲は、 うちのMEIKOが得意とするところであり、自分としては、結構イケてる出来になったと思います。 それでは、うちのMEIKOの「DIAMONDS」お聞きください。 今回もいつものピアプロから、 namiyoshiさま、けいんさま、妃。さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲のタイトル「DIAMONDS」は、 宝石のダイヤと工業用ダイヤが使われているレコード針の二つの意味があることを、今の若い人には たぶん 理解できないだろうということは、容易に想像がつきますが、この曲を解説したウィキペディアを見たら、「ブラウン管とはテレビのことである。」書いてあり、「ブラウン管」も説明が必要な言葉になってしまたのかと・・・(愕然) さて、この曲がヒットした平成元年は、その年の12月に日経平均株価が史上最高値をつけた、バブルのピーク

第12回「Close to you」の巻

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自分がカーペンターズに初めて出合ったのは、小学生の頃、以前お話しした父親の本家に遊びに行ったときだったと思います。素敵な音楽が流れていた従兄のお兄さんの部屋に行くとステレオの傍にはこのレコードジャケットがありました。 このアルバムは、有名な「Sing」や「Yesterday Once More」などが収録された「Now&Then」という彼らの代表作の一つですが、その時は正直、音楽自体にはそれ程ピンとはこなかったのですが、真っ赤なスポーツカーとお洒落な白い家のイラストを見て、「アメリカって、みんなお金持ちなんだろうなー」と思ったことを憶えています。 その後、以前お話しした親に買ってもらったラジオを聴いていると、頻繁に彼らの音楽がかかっていて、いつしか自分も好きになっていきました。 カーペンターズは、本国アメリカではもちろんのこと、日本での人気も相当なもので、自分の感覚では、これまでの洋楽アーティストの中では、ビートルズは別格としても、クィーンとは双璧をなす位の人気だったと思います。 事実、人気絶頂期の昭和49(1974)年の3回目の来日公演では、チケットの販売はハガキの応募による抽選で行われ、応募総数は何と38万通(!)で、その中で当選はたったの3万通だったそうです。 公演の模様は、テレビでも放映され(確か日曜の午後だったと思ます。)自分もテレビの前で釘付けになって観ていたことを憶えています。 今回、ご紹介する「(They long to be)Close to you(邦題:遥かなる影)」は、昭和45(1970)年にリリースされ、彼らにとって初めてのNo.1ヒットソングとなりました。 自分もカーペンターズの曲の中では、この曲が一番のお気に入りで、たまたまネットでバンドスコアを発見したものですから、ウチのMEIKOに歌わせてみようと挑戦してみました。それでは、お聞きください。カーペンターズのカバーで「Close to you」です。 いかがでしたでしょうか? オーナーに似て英語は 相変わらず イマイチで、いつにもまして「ナンチャッテ」感が強い出来となってしまいましたが、まぁ、頑張って歌いましたので、どうかご容赦くださいm(__)m 今回もいつものピアプロから、しん。さま、afterさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお

第11回「You may dream」の巻

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今回はシーナ&ザ・ロケッツの「You may dream」をご紹介します。 シーナ&ザ・ロケッツは、福岡を拠点に活動していたギタリストの鮎川誠さんと奥さんのシーナさんを中心に 昭和53(1978)年に結成され、この「You may dream」は、昭和54(1979)年にリリースされた2枚目のシングルで、このバンドの代表曲となっています。 この曲の作曲とプロデュースは、ご存じYMOの細野晴臣さんで、YMOがあの歴史的名盤「Solid State Survivor」を制作していた隣のスタジオで、シーナ&ザ・ロケッツもアルバム を制作していた関係で、細野氏がプロデュースを引き受け、その代わりに鮎川氏は、あの歴史的名盤にギタリストとして参加したそうです。(たまたま隣のスタジオだったという話は、どっかで聞いた話で確証はありません。) 今回のカバーの出来ですが、この曲は途中で英語のセリフがあるのですが、オーナーに似て、MEIKOも英語はどうにも苦手です。メロディーのついた歌詞でも四苦八苦ですが、メロディーのないモノローグとなると殆どお手上げですヽ(^o^)丿ただその他のところは、結構上手くできた方だと思いますので、聞いてやってください。 シーナ&ザ・ロケッツのカバーで「You may dream」です。 いかがでしたでしょうか? 因みにタカタカタンと入っているカスタネットはオリジナルを真似てみましたが、オリジナルの音も当時の最先端のシンセで作った音だそうですが、40年以上経った今では、自分のようなトーシローでも簡単に作れるようになりました。 今回もいつものピアプロから、和葵さま、星架月さま、カラコロさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m ところで、このバンドのリーダー鮎川誠さんは、長身で髪を短くカットしてセルフレームの眼鏡をかけ、当時のロックギタリストとしては異色の風貌ですが、トレードマークの黒のギブソン・レスポールを演奏する立ち姿はカッコよく、日本人でレスポールを抱えた姿がこれほどサマになる人は他にいないだろうと思います。 というわけで、今回のお口直しは、(このバンドを実際に見たことがない人も多いと思い、)本家の「You may dream」をご紹介します。 いかがでしたでしょうか。 (なお、素敵なボーカルを聞かせてくれたシーナさ

第10回「Down Town」の巻

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(このブログを書いているのは、2021年8月9日。前日は東京五輪の閉会式がありました。東京での開催が決まった時に思い描いていたものとは全く違った形になってしまいましたが、個人的にはやって良かったと思います。このブログの趣旨とは関係のない話ですが、将来、読み返した時のための記念カキコです。) このブログもおかげさまで10回目を迎え、節目の回に相応しい曲ということで、今回はシュガー・ベイブの「Down Town」をご紹介します。 「シュガー・ベイブ」と言ってもご存知ない方も多いかもしれませんが、このバンドは、日本のKing of Pop(と自分は呼んでいます)、山下達郎さんが在籍しており、シュガー・ベイブがリリースした唯一のアルバム「Songs」は、彼の実質的なデビューアルバムです。 (Songsのアルバム。ジャケットです。) このアルバムがリリースされたのは、 昭和50(1975)年ですが、 以前ご紹介したサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」同様、この「Songs」も今でこそ日本のポピュラー音楽史上に残る傑作と位置付けられており、発売後30年の平成17(2005)年と40年の平成27(2015)年には、記念盤も制作される程、息の長い人気を博していますが、その当時は全く売れず、殆ど話題にすらなりませんでした。 自分もこのアルバムを聴いたのは、ずっと後になってからですが、このアルバムのリリース当時のヒット曲というと、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」w、布施明さんの「シクラメンのかほり」といったところであり、あの時代にこんな素敵な楽曲をリリースしていたというのは、本当にスゴイと思いました。 それでは、アルバム「songs」から、ウチのMEIKOが歌います「Down Town」お聞きください。 ウチのMEIKOは頑張っているのですが、ほんとにギターがへたっぴですいませんorz 今回もいつものピアプロから、ルミナさま、さくみゃさま、hata_hataさまの素敵なイラストを使用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m 今回ご紹介した、この「Down Town」は本当に数多くのミュージシャンにカバーされており、今回たまたまこんな動画を発見しました。是非ご覧ください。 Juice=Juice 「Down Town」 このJuice=Juiceは、ハロプロ所属の女性

第9回「人生を語らず」の巻

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厨房の時に寮の部屋で夜勉強をしながら聞いていたラジオから、この曲が流れてきた時の衝撃は、今でも憶えています。たくろうさんの熱く激しいシャウトと非常に深い内容の歌詞にいたく感動し、以来、この曲をずっと聞き続け、困難な時にはずいぶんと励まされてきました。 そう言った意味では、今回ご紹介するよしだ たくろうさんの「人生を語らず」は、自分にとってのmy favorite song といえる曲だと思います。 たくろうさんは、昭和47(1972)年にCBSソニーレコードに移籍後、最初にリリースしたレコードが前回ご紹介した「結婚しようよ」で、以降リリースされた3枚のアルバム「元気です」「伽草子」「LINE`73」も全て大ヒットし、そして、これらの後に続く、この 「人生を語らず」が収録されたアルバム「今はまだ人生を語らず」は、昭和49(1974)年12月に リリースされ、オリコンチャート1位となります。さらに翌年(昭和50年)8月には、静岡県つま恋で「かぐや姫」と共に、当時としては驚異的な5万人以上の観衆を集めたオールナイトコンサートを成功させます。 (「今はまだ人生を語らず」のアルバムジャケットです。) このように「今はまだ人生を語らず」は、たくろうさんの長いキャリアの中でも絶頂期の代表作であり、このアルバムは、個人的には彼の最高傑作だと思います。 それでは、うちのMEIKOも気合を入れて歌っていますので聞いてください。よしだたくろうさんのカバーで「人生を語らず」です。 いかがでしたでしょうか?今回もピアプロから、シイ夫さま、nashiroさま、ryo848さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、この名盤「今はまだ人生を語らず」ですが、現在は完全なオリジナル版としては発売されていません。というのも、このアルバムのA面の1曲目は、これまた名曲「ペニーレインでバーボン」という曲なんですが、この曲は現在発禁になっています。(話は脱線しますが、この曲の影響で同店は、「フォークの聖地」と称され、70年代の原宿を代表するカフェとなり、修学旅行のコースにもなるほどの人気を博したそうです。小生も一度行ってバーボンを飲んでみました。テヘ) この発禁の理由なんですが、この曲の1節「テレビは一体だれのためのもの 見ているものはいつもツ〇ボ桟敷」の「ツ〇

第8回「結婚しようよ」の巻

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自分が小学生の頃、お盆の時期とお正月は、父親の本家に行くことが習慣になっていました。本家には自分より年長の男の従弟が3人いて、彼らからいろいろ新しい情報を仕入れていました。その時、一番上の従弟は高校生で、ラジオの深夜放送を楽しんでいるという話を聞き、自分も親におねだりしてラジオを買ってもらいました。 その買ってもらったラジオでベストテン番組を聞いていたところ、全く聞きなれない音楽が流れてきて、歌詞ではなく、伴奏の音楽がとてもカッコいいと思った最初の曲であり、自分が音楽好きになったきっかけの曲が、今回ご紹介する、よしだ たくろうさんの「結婚しようよ」です。 「結婚しようよ」は、昭和47(1972)年1月リリースで、40万枚を超えるヒットとなり、よしだ たくろうさんを一躍スターダムに押しあげた楽曲で、歌い手が作詞・作曲もする、いわゆるSinger,Song,Writingの楽曲としては、おそらく日本初のヒット曲であり、J-POPの原点とも評されています。 で、今回のうちのMEIKOのカバーですが、これが正直、全然ダメorz  いろいろやってみたのですが、ギターの音をはじめ、自分が感動した原曲の雰囲気がうまく出せずじまいでした。やはりDTMの場合、アコースティック主体の曲は、電気楽器が主体の曲よりも難しいようです。 まぁ、そうはいっても、聞いてやってください。うちのMEIKOの「結婚しようよ」です。 いかがでしたでしょうか? 今回も、いつものPiaproから、ちまきさまとみかんみかみかさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、オリジナル版ですが、(実質的な)プロデュースとギターは、前回ご紹介した「天才」加藤和彦さん(やっぱり天才です)。ベースも前回ご紹介した小原礼さんですが、最近、たくろうさんがこの時のレコーディングの様子を語った動画を発見したのですが、その中で「小原、この時1音間違えたんだよね。」と語っていました。(数十年経っても、些細なミスを覚えてるたくろうさん怖いw 素人の自分では、どこがミスなのか皆目わかりません。) オルガンとバンジョーは、後のユーミン旦那こと松任谷正隆さんで、人生初のレコーディングだったそうでなんですが、その曲が大ヒットとなり、「ヒット曲なんて簡単にできるもんだ。」と思ったそうです。(持ってる人は

第7回「タイムマシンにおねがい」の巻

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第7回目は、サディスティック・ミカ・バンド(長いので、以下「SMB」) の「タイムマシンにおねがい」をご紹介します。 SMB のリーダーで、この曲の作曲者でもある加藤和彦さんは、昭和22(1947)年生まれ、昭和42(1967)年に当時活動していたバンド「ザ・フォーク・クルセイダーズ」(通称フォークル)の解散記念として自主制作した「 帰って来たヨッパライ 」が話題となり、プロデビュー。このブログをご覧の皆さんの多くはご存知かと思いますが、この曲は、テープの早回しやオーバーダビング等を多用した、当時の録音技術を考えれば、非常に実験的な楽曲であり、それを一介のアマチュア・ミュージシャンが制作し、そのレコードが日本初のミリオンセラーを記録しました。 フォークル解散後には、奥さんのミカさんをボーカルにSMBを結成。昭和49(1974)年にビートルズなどを手掛けた英国の名プロデューサー、クリス・トーマス氏を迎えて、日本のロック史に残る名盤「黒船」をリリース。「タイムマシンにおねがい」はこのアルバムに収録されています。 (「黒船」のアルバムジャケットです。) この「黒船」のA面は、同曲以外は(モノローグが入った曲が1曲ありますが、)ロックのインストゥルメンタルで、黒船来航時の江戸の喧騒が非常によく表現されています。(「帰って来たヨッパライ」といい、この「黒船」といい、「天才」というのは、まさにこういう人のことを言うのかと・・) そして、この「タイムマシンにおねがい」は、シンプルなロックンロールなんですが、腕のいいミュージシャンと名プロデューサーにかかれば、こんなカッコいい曲に仕上がってしまううんですねー。この曲のコードは、何とA、C、D、Eだけ(!)で、初心者でも比較的簡単に演奏できることから、かつては(今でも?)ロックバンドの入門曲として、日本のロックのスタンダードになっています。 前置きが長くなりましたが、ウチのMEIKOの「タイムマシンにおねがい」、お聞きください。 この曲では、特段の「調教」(ボカロの世界では、パラメーターの調整をこう呼びます。)はしていないのですが、ウチのMEIKOは、本当に気持ちよく歌ってくれていて、バックの演奏はともかく、MEIKOのボーカルという意味では、この曲が、これまでのところのベストテイクだと思います。 さて、その後のSMBですが、ミカさん

第6回「プライベイト・ヒロイン」の巻

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  今回も、前回に引き続き、レベッカの「プライベイト・ヒロイン」をご紹介します。 この楽曲は、前回ご紹介したアルバム 「REBECCA Ⅳ ~Maybe Tomorrow~」のA面 (アナログレコードにはA面B面がありましたね。懐かしいですね。) の2曲目 に収録されていますが、シングルカットされたわけでもなく、レベッカのファン以外には、まったく無名の曲を、今回、何故ご紹介するのかは、後程ゆっくりご説明します。 今回は(いつも、という声もありますが、・・)ウチのMEIKOは全くの前座なので、早々にご紹介したいと思います。 レベッカのカバーで「プライベイト・ヒロイン」です。お聞きください。 いかがでしたでしょうか? 今回も、 いつものピアプロから、rumecoさまの素敵なイラストを使用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、今回この楽曲を選んだ理由は、皆さんにどうしてもご紹介したい動画がありまして、そのためにウチのMEIKOにも頑張ってもらったわけです。 その動画は、昭和61(1986)年11月1日、早稲田祭でのレベッカのライブ映像でして、この曲は、その時のアンコールで演奏されました。 この時のNOKKOさんのパフォーマンスは、レベッカファンの間でも「ベストパフォーマンス」と称されるほどの素晴らしいもので、「圧巻」の一言です。まぁ、とにもかくにも、ご覧ください。 いろいろネットで調べてみると、この時のライブは、情報誌「ぴあ」(こりゃまた懐かしい)を通じて、各大学から学園祭出演の応募を募り、その中で早稲田のR&B同好会が、NOKKOさんがジャニス・ジョプリン(若くして亡くなったアメリカの伝説の歌姫)が好きということを知って、彼女の曲をNOKKOさんに歌ってもらうために練習しました、という趣旨の手紙を書いて応募したところ、これをレベッカのメンバーがいたく気に入り、早稲田に来ることになったそうです。(実際にレベッカのライブの前にこの同好会のメンバーをバックにジャニスの代表曲「 Move over 」を歌うNOKKOさんの音源も残っています。) 当時、日本で最もレコードを売っていたバンドのコンサートにも拘らず、当日はシークレットライブということで、開演1時間前にチラシを配る、という何とも雑な運営で、しかも、学内サークルバンドのコンサートと見紛う

第5回「フレンズ」の巻

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第5回目は、レベッカの「フレンズ」をご紹介します。 この曲は、レベッカ最大のヒット曲で、昭和60(1985)年 11月にリリースされた、 この曲が収録されたアルバム「REBECCA Ⅳ ~Maybe Tomorrow~」は、当時のロックバンドとしては、異例の130万枚のセールスを記録しました。 (アルバムの画像はこちらです。)      自分もこのアルバムを 当時 愛聴していて、初めて買った中古のファミリア(古!)を運転する際には、カセット(古!)でよく聞いていました。 この曲は我々くらいの世代ですと、女性のボカロに何を歌ってもらおうか考えた時には、おそらく真っ先に思いつく曲の一つではなかろうかと。ということで、自分もMEIKOに家に来てもらって、最初の頃にこの曲を手掛けたんですが、なかなか納得のいく出来にはならず、以後、何度か手直しをしたのですが、🎸ギターは、音も演奏も録音も残念まま orz ....唯一、キーボードの音だけは、何とか「っぽく」なったのでは、ないかと思います。 それでは、ウチのMEIKOは結構頑張って歌ってくれていますんで、聞いてやってください。「フレンズ」です。 いかがでしたでしょうか? なお、今回もいつものピアプロから、たちかぜさまとrumecoさまの素敵なイラストを使用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m にしても、カンレキ間際のジジイが、「口づけを交わした日は、ママの顔さえも見れなかった。」なんて詩を、夜な夜なPCに入力している姿は、我ながら、かなりシュールな光景だと思いますww で、恒例のお口(耳?)直しですが、前回の「銀河鉄道999」同様、この曲も結構な数のカバーがあったんですが、NOKKOさん同様、こちらも私の好きな女性ボーカリスト、絢香さんが最近カバーされていたのを発見したので、こちらをご紹介します。 オリジナルのNOKKOさんとは、また趣が違った素敵な楽曲になっていますね。一流のプロが本気でカバーすると世界観からして全然別物になるんですね、納得です。 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回は、5月22日(土)今回に続いてレベッカの「プライベイト ヒロイン」の巻を予定していますので、是非、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下のタグをクリックしてくださいm(__)m)

第4回「銀河鉄道999」の巻

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昨年5月にゴダイゴのギタリスト浅野孝己さんがお亡くなりなり、追悼の意味を込めて、何か1曲ウチのMEIKOに歌ってもらおうと思い、選んだのが今回ご紹介する「銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)」です。 ゴダイゴには、他にも有名な曲が数多くありますが、個人的には、この曲が「ゴダイゴと言ったら、やっぱりこれ」だと思います。世間的にも、リリース後40年経った今でも、たまにテレビ等で企画される、好きなアニメソングアンケートでは結構上位にランクインしており、もちろん、そもそものアニメ/映画の人気の高さの反映とも言えますが、この曲自体の魅力も評価されてのことだと思います。 実際にバンドスコアを片手に、しこしこ打ち込みをしてみて、最初ドラムの手数の多さにちょっとビックリして、「トミー スナイダ―(ゴダイゴのドラマー)って、こんなに上手だったのか」と感心してしまいました。それから何と言ってもボーカルのタケカワ ユキヒデさんの音域の広さは圧倒的で、正直ウチのMEIKOはなかなかついていけてません。 一方で、オリジナルのベースではスラップ奏法(昔はチョッパーと呼ばれた「ンぺ、ンぺ」という感じの音になる奏法)はしていませんが、今回この音にすることで、ちょっとFunkyなアクセントがついたのではないかと思います。 エッ自分のギターですか? まぁそれなりです、 ハハ... それでは、ウチのMEIKOが歌います「銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)」お聞きください。 今回もピアプロから、素敵なイラストを使用させていただきました。柳里さま、ぬこ式さま、ARAQさま、どうもありがとうございましたm(__)m 最後に、いつもの皆さんへのお口(耳?)直しのためにYou Tubeをチェックしたところ、本当にたくさんのカバーがあり、この曲はJ-POPのスタンダードナンバー的な位置づけになっているんだなぁと感じました。で、その中でも、最高にお洒落でカッコいいカバーを発見したので、お楽しみください。 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回のリリースは3月27日(土)レベッカの「フレンズ」の巻を予定してます。また、覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下のタグをクリックしてくださいm(__)m) にほんブログ村

第3回「翼の折れたエンジェル」の巻

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第3回目は、 中村あゆみさんの 「翼の折れたエンジェル」をご紹介します。この曲は、日清カップヌードルのCMソングにも起用され、CD・レコードの売上は50万枚以上となり、彼女の最大のヒット曲となりました。 この曲の最大の魅力は、何と言っても彼女独特のハスキーな歌声が、いかにもロックな感じでカッコいいところにあります。ウチのMEIKOも頑張って歌っているのですが、本家のようにシャウトする感じまでは今一歩といったところです。 この曲がリリースされたのは昭和60年(1985年)5月、時あたかもバブル前夜ということで、この時代の気分を反映しているのか、例えば ドラムの音は、やたらリバーブ(エコー)を効かせたりして、 派手な感じに仕上っています。 この曲をカバーするにあたっては、この辺を意識して、特にドラムの音は、「それっぽく」なったのではないかと思います。(自画自賛ですが、) それでは、ウチのMEIKOが歌います「翼の折れたエンジェル」お聞きください。 今回も動画作成にあたって、いつものピアプロにいき、曲のイメージに合うイラストを探して、翼のあるMEIKOを見つけた時はちょっと嬉しく、最後に翼が折れたMEIKOまで見つけることができた時は、ビックリしました。 agachiさま、 syouさま、 アヤトハルアキさま、イラストを使用させていただき、ありがとうございましたm(__)m ところで、この曲の冒頭の歌詞、 「ドライバーズシートまで横なぐりの雨  ワイパーきかない夜のハリケーン  ”I love you"が聞こえなくて、・・」 ですが、シートが濡れてるなら、この車はオープンカーかウインドウが壊れているかのどっちかな訳で、だったら横なぐりの雨が降っているのに"I love you"なんて言うてる場合やおまへん!そんなわけあるかい!責任者出てこいヽ(`д´;)/ (俺は 人生幸朗かw・・・この辺のくだりが分からない人は こちら をご覧くださいw) 最後にお口(耳?)直しにオリジナルを紹介しようと思ったのですが、意外な人のカバーを発見したので、こちらを紹介することにします。 デーモン閣下は、奇抜なメークやユニークなコメントばかりが注目されますが、ボーカリストとしての力量はホント過小評価されてますよね。閣下最高です! 次回のリリースは3月13日(土)「

第2回「SWEET MEMORIES 」の巻

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5年ほど前にボカロを始めようと思った時に、当然のことながら、まず最初にどのボーカロイドにしようか考えました。 ボカロの代名詞となっている初音ミクを制作しているクリプトン社のHPを覗きに行き、ラインアップされているボカロを試し聴きしたところ、人気の初音ミクもいいが、先輩格のMEIKOもより人間らしい感じで悪くないと思いました。そして、最終的にMEIKOにした最大の理由は、当時、MEIKOにはあった英語対応が初音ミクにはなかったことです。 最初に挑戦しようと思っていた、今回ご紹介するこの曲は皆さんご存知の通り、途中で英語詩が出てくるので、自分のボカロは英語対応が必須だったわけです。 ということで、本日ご紹介する曲は、私の永遠のアイドル松田聖子さんのカバーで「Sweet Memories」です。 いかがでしたでしょうか。前回よりも、ウチのMEIKOもしっかり歌えていると思います。(やっぱり女性ボーカルの曲の方がしっくりしますね。) このブログを始めるにあたって、初めてYou Tubeに投稿したのですが、動画作成の方法をネットで調べてWindows PCに標準装備されているMovie Makerでできることを知り、このソフトを始めて使ってみました。あれこれいじっているうちに、いろいろ小癪な演出ができることが分かり、すっかりハマってしまいましたw ところで、前回も今回も素敵なイラストを動画にUPしていますが、これは先ほどのクリプトン社が運営する、 自作のボカロ曲やイラストを投稿してみんなで楽しむ 「 ピアプロ 」というHPがあり、そこに投稿されたイラストの多くは、商業目的でなければ無償での利用がOK ということで、夥しい数の作品の中から 自分が気にいったこれらのイラストを利用させていただきました。 遅くなりましたが、1回目のイラスト作者のkkcさま、今回の作者のYen-Miさま、どうもありがとうございましたm(__)m 前置きが長くなりましたが、今回の曲は松田聖子さんの代表曲の1曲ですが、昭和58年(1983年)8月に14枚目のシングル「ガラスの林檎」のB面としてリリースされています。ただ世間的には、このシングルの発売前に放送されたサントリーのペンギンのアニメーションCMの挿入歌としての方が有名です。 オンエア直後から、当時は珍しかった可愛らしい動物のアニメに合わせて流れるお

第1回「雨あがりの夜空に」の巻 

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10年ほど前から始めたギターは、いまだ残念なレベルのままですが、5年ほど前から始めたDTMと自分のギターに乗せて、ボカロに昭和のJ-POPを歌わせて遊んでいます。 作った曲数も増えてきたので、恥ずかしながら、自分の拙い作品をお披露目いたしたく。ニコニコ動画などでは10年ほど前に、あらかたやりつくされた曲ばかりですが、70~80年代の曲をご披露して、ただひたすらに昔をなつかしむという、何の発展性もないプログですw 記念すべき第1回目の曲は、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」です。今から約40年前、大学の新歓コンパでバドミントンのラケットをギター代わりにして歌って以来、自分のテーマソングのような曲になり、たまに行くカラオケでは、必ず周りの友人や会社の同僚に歌わせられています。 この曲は、昭和55年(1980年)1月にシングル盤としてスタジオ録音がリリースされていますが、世間的には、同年10月にリリースされた、RCサクセションを一躍スターダムに押し上げたライブアルバム「RHAPSODY」に収録されたライブバージョンが有名です。 今回はこのライブバージョンをウチのボカロ「MEIKO」に歌ってもらっています。それでは、「雨上がりの夜空に」お聞きください。 いかがでしたでしょうか? 皆さんの失笑が聞こえてきそうですが・・・ ウチのMEIKOを頑張って調教してみたんですが、どうにも音痴な感じになってしまいます。まあ、敬愛する清志郎御大は五線譜には収まらないスケールのボーカリストということなんでしょう。 それと、下にご紹介するオ リジナルのようなグルーブ感をDTMで表現するのも、難しいですね。どうしてもコンピュータで入力しましたって感じになってしまいます。ボカロPと呼ばれるこの道の達人方はこの手のグルーブ感もうまく表現できるのでしょうが、自分の力量では、まだまだです。ハァ 今回、この曲をカバーしてみて、日本のロックアルバムのアンケートでは、必ず上位にランクインするこのアルバムとこのバンドの偉大さを改めて認識した次第です。 それでは、お口(耳?)直しにお楽しみください、昭和55年(1980年)4月5日、東京霞が関、今は無き久保講堂でのRCサクセションのライブから「雨あがりの夜空に」です。 お楽しみいただけたでしょうか? これから2週間に1回程度のペースでリリースしていく予定ですの