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第44回「異邦人」の巻

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懐か昭和の流行歌特集も7回目となり、今回で一旦終了とさせていただきますが、記念すべき最終回では、久保田早紀さんの「異邦人」をご紹介します。 久保田早紀さんは、昭和33(1958)年、東京都国立市生まれ。昭和53(1978)年、共立女子短大在学中に「ミス・セブンティーンコンテスト」応募のためのデモ曲を送ったことをきっかけにCBSソニーのディレクターに出会い、昭和54(1979)年、短大卒業と同時に三洋電機のタイアップがついて、デビューすることが決まります。 彼女の自作の3曲の中から三洋電機の意向で「白い朝」という曲がデビュー曲として決定しましたが、その曲が使用される三洋電機のCMがアフガニスタンで撮影された映像となることから、「シクラメンのかほり」等の編曲で知られる萩田光雄氏によって、大胆なアレンジが施され、同年10月にタイトルも「異邦人」に変更されてリリースされます。CMの映像にマッチしたオリエンタルな雰囲気の楽曲は大きな話題となり、TBSの「ザ・ベストテン」で3週連続1位を獲得、最終的に140万枚を超える大ヒットとなりした。 前置きが長くなりました。それではお聞きください。久保田早紀さんのカバーで「異邦人」です。 冒頭の歌詞「子供たちが空に向かい両手をひろげ 鳥や雲や夢までもつかもうとしている」は、通学で利用していた中央線の車窓から見えた公園の子供たちの様子を歌ったそうですw 西東京から中東にまで何の違和感もなくぶっ飛んでいった昭和歌謡史を代表する名編曲ですね。 それでは、恒例のお口(耳?)直しですが、前述した三洋電機のCMとご本家の歌を続けてお楽しみください。 また、最近の社会問題を反映して、こんな動画が話題になりました。 45年以上たった今でも、このような替え歌が作られるのは、この曲のインパクトがそれだけ強かったということだと思います。 今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。何とか年内にブログを仕上げることができました。 本年は大変お世話になりました。来年もぼちぼちとブログを更新していきたいと思いますので、変わらぬご愛顧よろしくお願いいたしますm(__)m それでは、皆さん良いお年をお迎えください。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第43回「勝手にシンドバッド」の巻

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懐か昭和の 流行歌特集も早いもので6回目となり、今回はいよいよ真打登場ということで、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」をご紹介します。 サザンオールスターズは、青山学院大学のフォークソングサークルのメンバーで結成され、昭和52(1977)年3月、ヤマハ主催の音楽コンテストEast Westで入賞し、ボーカルの桑田佳祐さんがベストボーカル賞を受賞したことをきっかけにプロデビュー。今回ご紹介する「勝手にシンドバッド」は昭和53(1978)年3月にリリースされた彼らの記念すべきデビュー曲となります。 それではお聞きください。桑田さんのボーカルとは、テイストが全然違いますが、まぁまぁの出来になったと思います。サザンオールスターズのカバーで「勝手にシンドバッド」です。 この曲のタイトルは、当時ヒットしていた沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」の2つのタイトルから拝借したということは同時代の人たちの間では常識だと思いますが、実はこの話には裏話があって、当時の大人気番組「8時だよ全員集合」で志村けんさんが、この2曲の振り付けを交互に踊って、「これが勝手にシンドバッドだ。」と言っていたのを、たまたま観ていた桑田さんがこの題名を頂戴したというのが真相のようです。(You Tubeで「志村けん 勝手にシンドバッド」と検索するとこのコントが見れますので、ご興味ある方はご覧ください。) それでは、恒例のお口(耳?)ですが、今回はご本家がザ・ベストテンに初登場した時の映像をお送りします。(みんなビックリするほど若いですw) この時の放送は自分も観ていて、歌詞が殆ど聞き取れなかったことを覚えています。(この曲が登場するまでは、日本語の歌詞に字幕は付かなかったのですが、視聴者から「何を歌っているか分からない」という声が殺到したことから、日本語の歌にも字幕がつくようになりましたw) にしても、この放送から半世紀近くたって、このバンドが今でも現役で「国民的バンド」とまで称されるようになるとは、ご本人たちを含め、当時は本当に誰も知る由もなかったですねー。 そして、国民的バンドと称されるようになってからの、自分が記憶する、この曲まつわるエピソードをもう一つ。 平成30(2018)年、平成最後の紅白歌合戦の大トリで、サザンオールスターズと松任谷由美さんが...

第42回「青い珊瑚礁」の巻

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懐か昭和の流行歌特集第5弾は、明菜と来れば次は当然この人、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」です。 松田聖子さんは、昭和37(1964)年3月生まれ(自分と同学年です!)、福岡県久留米市出身。高校時代に参加したオーディションのデモテープを聞いたCBSソニーの若松宗男氏に才能を見いだされ、厳格な父親の反対を押し切って、昭和55(1980)年4月にプロデビュー。今回ご紹介する「青い珊瑚礁」は、彼女の2枚目のシングルとして、同年7月にリリースされ、オリコンの最高位は1位に届かず2位止まりではあったものの、彼女の名を世に広めた初期の代表曲で、初回のリリースから41年後の令和3(2021)年には、セルフカバー「青い珊瑚礁 ~Blue Lagoon~」がデジタル配信でリリースされました。 当ブログの第2回でご紹介した「Sweet Memories」以来、大好きな聖子ちゃんを久々にカバーするとあって、いつも以上に気合を入れましたが、オリジナルがあまりに凄すぎて、なかなか納得できる出来にはなりませんでした。なので、あまり期待しないで聞いてやってくださいw 松田聖子さんのカバーで「青い珊瑚礁」です。 如何でしたでしょうか? うちのHARUKAも頑張っているのですが、どうやっても聖子ちゃんの瑞々しくパンチのきいた歌唱にはなりませんでした。 ところで、話は少し外れますが、ボカロで曲を作る際の歌詞入力では違和感は感じないのですが、動画の字幕制作でPCモニターに還暦過ぎのジジイが「あなたが好き!」なんて入力してると、自分でも「何やってんだか」と思ってしまいます(苦笑 というわけで、恒例のお口(耳?)直しですが、今回もこの曲が流行っていた頃のご本人の動画をご紹介します。 自分は今でも聖子ちゃんカットが女子の最強のヘアスタイルだと思ってます。(うちの同居人も出会った頃はこの髪型でしたw) 彼女の登場までは、女性アイドルは謂わば「使い捨て」状態でしたが、彼女の登場以降、所謂女性アイドルとしてデビューした人達のその後のキャリア形成は大きく変化しましたし、また、結婚・出産後も「アイドル」を続ける彼女の生きざまは、一般の女性の方々にも少なからぬ影響を及ぼしたと思います。 過激なプライベート報道や不当なバッシングをも乗り越えてきた彼女でしたが、令和3(2021)年の不幸な出来事は、子供を持つ親として同情を禁じえ...

第41回「スローモーション」の巻

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懐か昭和の流行歌特集第4弾は、 お待たせしました(誰も待ってねーよw)皆さん大好き中森明菜さんの「スローモーション」をお送りします。 中森明菜さんは、昭和40(1965)年7月13日生まれ(全くの偶然ですが、この原稿を書いているちょうど1週間前に還暦を迎えられました。) 昭和56(1981)年7月に日本テレビのオーデション番組「スター誕生」で合格し、プロデビュー。今日ご紹介する「スローモーション」は、昭和57(1982)年5月にリリースされた彼女のデビュー曲となります。この曲のオリコン順位は、最高位が30位ということで、その後の彼女の活躍から見れば、やや不本意なスタートだったかもしれませんが、彼女自身は、次作の出世作となった「少女A」よりは、この曲のほうが好きだったようですし、自分もこの曲は結構好きで、彼女を紹介する時はこの曲にしようと決めていました。 というわけで、お聞きください。中森明菜さんのデビュー曲で「スローモーション」です。 如何でしたでしょうか? 自分としては出来上がりに結構満足していまして、久しぶりの自信作となりました。 これまで40曲以上のカバーをしてきましたが、バンド形態の構成の曲が殆どで所謂「歌謡曲」と呼ばれるような曲のカバーは今回初めてだったんですが、素人の自分でも各パートのアンサンブルが非常に計算されていて、精緻に作られているのが分かりました。今、改めてこの時代の曲が再評価されているのも理解できます。(因みに編曲を手掛けた船山基紀さんという方は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」やWinkの「淋しい熱帯魚」等、手がけた編曲は2700曲以上となる昭和を代表する名編曲家です。) さて、恒例のお口(耳?)直しですが、今回も当時のご本人の動画がありましたので、そちらをご紹介させていただきます。 デビュー当時の映像を中心に編集された動画ですが、初々しくってホント可愛いかったですね。 自分は芸能ゴシップには詳しくないので、彼女の現在に至るまでの事情とかはよく分かりませんが、人気と実力を兼ね備えたこれだけのシンガーがずっと開店休業状態だったのはホント残念です。身近に誰か彼女を支える人がいればよかったのに、・・とつくづく思ってしまいます。 今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。 来月も昭和の流行歌特集を予定していますので、また覗きに来てく...

第40回「みずいろの雨」の巻

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懐か昭和の流行歌特集、第3弾は八神純子さんの「みずいろの雨」をご紹介します。 八神純子さんは、昭和33(1958)年、愛知県生まれ。高校在学中から、ヤマハのポプコンでの入賞などの実績を積み、昭和53(1978)年に「思い出は美しすぎて」でプロデビュー。この曲はそこそこヒットしましたが、その後はヒット曲に恵まれませんでした。歌手生活に行き詰まりを感じ、作家活動への転身を模索していた時期に、岩崎宏美さんへの楽曲提供を意識して制作した曲を自分で歌ってみたところ、大変評判がよく、それならばということで、5枚目のシングルとしてリリースされたのが、今回ご紹介する「みずいろの雨」です。 「みずいろの雨」は、昭和53(1978)年9月にリリースされ、翌10月にTBSのザ・ベストテンの話題曲を紹介する「今週のスポットライト」に出演し、彼女曰く「一夜にして大ブレイクした」と感じるほどの世間の注目を集め、翌11月には9位で初登場し、12月には最高位2位にまで上昇しました。レコードセールスも60万枚を記録し、彼女の最大のヒット曲になりました。 それでは、お聞きください。八神純子さんのカバーで「みずいろの雨」です。 如何でしたでしょうか?今回は、最後の残念なギターソロ(泣 以外は結構オリジナルに寄せられたのではないかと思います。ここ最近は男性ボーカルの曲が多くて、調教に四苦八苦していましたが、女性ボーカルは、調教がしやすく、そこそこ満足できる仕上がりになりますね。 それでは、恒例のお口(耳?)直しですが、今回も若かりし頃のご本家の動画をご紹介します。 ピアノを弾きながら歌う彼女の姿は、当時高校生だった少年の胸にグッとくるものがありましたww 今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。 来月も昭和の流行歌特集を予定していますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第39回「銃爪(ひきがね)」の巻

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前回に続き、昭和の流行歌特集第2弾は、世良公則&ツイストの「銃爪(ひきがね)」をご紹介します。 世良公則&ツイストは、 昭和52(1977)年に大学卒業・バンド解散の記念に出場したヤマハポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)で「あんたのバラード」がグランプリを獲得したのをきっかけにプロデビュー。今回ご紹介する「銃爪」は昭和53(1978)年8月にリリースされた3枚目のシングルで累計販売枚数は94万枚、オリコンでは年間ベストテン第3位、TBS「ザ・ベストテン」では、同年の9月~11月まで10週連続第1位を獲得し、年間ベストテンも第1位となりました。(因みに10週連続1位は、寺尾聡さんの「ルビーの指輪」の12週に続く歴代2位の記録だそうです。) それでは、お聞きください。世良公則&ツイストのカバーで「銃爪」です。 今回は比較的シンプルなロックだったので、そこそこの出来栄えになるかと期待しましたが、ギターは相変わらず下手ですし、そして何よりも、オリジナルのボーカルが圧倒的すぎて、自分のボカロでは全く歯が立ちませんでしたorz(世良さんは学生時代のバンド結成当初はベースを担当していて、それまでのボーカルがイマイチだったので、代わりに歌ってみたのが最初で、それまで自分が歌が上手いとは思ってもいなかったそうです、何と!) 4年ほど前になりますが、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にジャズ喫茶のマスター役で出演した際には、劇中で進駐軍のパーティで酔った勢いで「On the Sunny Side of the Street」を歌うシーンがあるのですが、これが圧巻で、改めて「世良さん、歌うますぎ」と思った次第です。(このシーンは憶えている人もいるのではないでしょうか。) さて、恒例のお口(耳?)直しですが、今回もそのものズバリ、若かりし頃の世良さんの映像をご紹介します。 何と「カムカム」の世良さんの歌ってるシーンも動画がありましたので、(動画の埋め込みはできませんので) こちら をお楽しみください。 今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。 来月も昭和の流行歌特集を予定していますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第38回「涙のリクエスト」の巻

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昨年1年間は、ビートルズ(+ローリング ストーンズ)を 特集してきましたが、今年はガラッと趣向を変えて、邦楽の所謂「流行歌」をお送りしたいと思います。 自分がガキの頃は、テレビやラジオにその時々の流行歌(ヒットチャート)を紹介する番組がいくつもあり、中でもTBSの「ザ・ベストテン」は大変な高視聴率番組で、自分も欠かさず観ていました。今年は大好きだったこの番組で記憶に残る歌手(ミュージシャン)の楽曲をご紹介していきたいと思います。 という訳で始まりました昭和の流行歌特集の1回目は、チェッカーズの「涙のリクエスト」をお送りします。 チェッカーズは、昭和58(1983)年デビュー、2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットして、その独特の髪形やファッションも注目されるようになります。 ザ・ベストテンでは、昭和58年の年間ランキング第2位、また、同年5月から6月の4週に渡って、同曲の他に「ギザギザハートの子守歌」と「哀しくてジェラシー」の3曲同時のランクインの快挙を達成します。 それでは、チェッカーズのカバーで「涙のリクエスト」をお聞きください。 この歌の冒頭 「最後のコインに祈りを込めて Midnight DJ  ダイヤル回すあの娘に伝えて まだ好きだよと」ですが、硬貨を入れるダイヤル式の公衆電話も無くなり、ラジオ番組に好きな曲をリクエストするなんてことも知らないでしょうから、今どきの若者には、意味不明の歌詞かと思われますw (因みに、関連情報をネットで漁っていたら、今の若い方は「トランジスタのボリューム上げて」も意味が分からないそうですw) にしても、 「俺の送った銀のロケット、今では違う誰かの写真」って、さすがに、こんなデリカシーのない女性はいないでしょうw それで、 「もしもあいつに振られた時は ダイヤルしろよ 夜中の街をお前を迎えに 駆けて行くから」ってw いや、この娘はやめておいた方がいいかと・・・ww さて、恒例のお口(耳?)直しですが、今回は若かりし頃のご本家のステージをご覧いただきたいと思います。 フミヤさん、若いっすね~。なんかかわいい感じですね。 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。来月も昭和の流行歌特集を続けますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村