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番外「皆さん、良いお年を!」

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最近は、何かと慌ただしく、制作のモチベも下がり気味で、ブログの更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。 2022年も後数日となりましたが、今年は2月にロシアがウクライナに侵攻し、7月には安部元首相が暗殺され、 ここにきてようやく収束が見えてきたコロナ禍も、中国で感染が急拡大したことにより先行きが懸念される状況となるなど、何とも気分が滅入ることが多い1年でした。 そんな暗いニースが多いなか、私の永遠のアイドル、吉田拓郎さんは、6月に最後のアルバムとなる「ah‐面白かった」をリリース、7月に「Love Love あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」でテレビ出演が終了、そして12月にラジオの「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」が最終回を迎え、芸能活動から完全に引退されました。76歳という年齢を考えれば、致し方ないところではありますが、一つの時代の終わりを痛切に感じてしまいました。 拓郎さんの引退を寂しく思っていたなか、ネットで偶然うれしいお知らせを発見してしまいました。それは、当ブログの第9回でご紹介した、A面1曲目の「ペニーレーンでバーボン」が「ツ〇ボ桟敷」という言葉が問題となって発禁となった関係で、同曲が収録されたオリジナル版が発売中止となっていた名盤「今はまだ人生を語らず」 のオリジナル版が復刻されました。アナログ盤はレコードプレーヤーの廃棄に合わせて処分してしまったので、今度は手放さず一生大事にしていこうと思います。 よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』がオリジナル完全復刻!2022年12月21日発売!|Sony music direct (Japan) inc. (110107.com) 来年は暖かくなるころまでには、ブログを更新したいと思いますので、また是非覗きに来てください。 今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。それでは、良いお年をお迎えください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第20回「湖上の煙/Smoke on the Water」の巻

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今回は、満を持しての登場、皆さんご存知(ですよね?)Deep Purpleのご紹介です。 Deep Purpleは、昭和43(1968)年メジャーデビュー、メンバーチェンジ後の昭和44(1969)年からは、ハードロックバンドとして頭角を表わし(所謂第2期)、昭和47(1972)年8月に初来日。この時のライブアルバム「 Made in Japan 」(邦題は「ライブ・イン・ジャパン」)は、ロック史上に残るライブ アルバムの傑作として評価されており、この後、多くのロックバンドが日本でライブアルバムを発売するようになります。また、会場の日本武道館は、「Budokan」の名前で、ロックのコンサートホールとしてw、広く海外でも知られるようになります。(自分もこのアルバムは生涯で最もよく聴いたアルバムの一つです。) このライブの成功で、Deep Purpleは、日本においては、ハードロックバンドとして、Led Zeppelinと人気を二分する地位を獲得し、(海外では、そこまでの人気なないそうです。)特にギターのRitchie Blackmoreは、我々ロック小僧 たちのアイコンとして、君臨することになりました。 このライブから8月でちょうど50年となることを記念して、以前から彼らの代表曲「Smoke on the water」をこのタイミングでご紹介することを予定していたのですが、なんせウチのMEIKOは英語が苦手なので、どうしたものかと考えていた時に、この歌を日本語で歌っているミュージシャンを思い出しましたw 王様は、上智大学卒業後にパルコに就職したものの、音楽の夢捨てきれず、僅か1年半で退社し、平成7(1995)年にリリースしたDeep Purpleの歌詞を日本語訳したCD「 深紫伝説 」が大ヒットし、日本レコード大賞の企画賞を受賞、直訳ロックというスタイルを確立し、現在もバリバリ活動しています。自分は彼の1つ年下なんですが、同時代に同じようにロックに夢中になり、同じように受験勉強して、同じように就職活動した彼にはとても親近感(と言ったら失礼かな)を持っています。ガキの頃夢中になったもので一生食っていっているわけですから、大したものです。 それでは、ウチのMEIKOがシャウト(?)します、「湖上の煙/Smoke on the water」をお聞きください。 いかがでしたでし

第19回「ライディーン」の巻

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今回も前回に続きYMOの「ライディーン(Rydeen)」をお送りします。この曲は前回ご紹介したアルバム「Solid State Survivor」に収録された楽曲で(後にシングル盤でもリリースされます)、YMOの代表曲として広く認知されています。 作曲は高橋幸宏さんで、なんでも坂本龍一さんと西麻布のバー(青山との説もあり)でお酒を飲んでいた時に、高橋幸宏さんが口ずさんだ鼻歌を坂本龍一さんが紙ナプキンに採譜して、この曲は生まれたんだとか。また、元々のタイトルは、江戸時代の伝説の横綱、雷電為右衛門に因んで「雷電」とする予定でしたが、細野晴臣さんがアメリカで日本のアニメ「勇者ライディーン」が流行している、という話を聞きつけて、だったら、ということで「ライディーン(Rydeen)」になったそうです。 皆さんご存知のように、この曲は唄のないインストゥルメンタルなので、本来であれば、今回うちのMEIKOの出番はありませんが、フツーにコピーしただけでは面白くないので、このブログを覗きに来てくれている皆さんもおそらく一度は口ずさんだことのある、あのお馴染みのメロディーをMEIKOに歌わせてみました。(鼻歌のつもりが絶唱になってしまいましたがw) また、間奏部分(2分37秒位)では、オリジナルにはないドラムソロをアレンジしてみました。自分では結構カッコよく仕上がったと思ってますんで、是非この辺りまで聞いてみてやってください。 それでは、お楽しみくださいYMOのカバーで「Rydeen」です。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、シノヤさま、yusakuさま、トーマさま、konpasuさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお口(耳)直しですが、昭和54(1979)年8月、YMOの海外初公演となるロサンゼルスでのライブをお楽しみください。(ギターは渡辺香津美さん、キーボードは矢野顕子さんの豪華メンバーがサポートしていますので、この辺も注目です。) 前回書きましたようにYMOを結成した細野さんの目標は、世界のマーケットを相手に自分たちの音楽で成功を収めることでしたが、このライブの成功により、YMOは世界的な評価を受けるようになり、また、この時の評判がフィードバックされて、日本でもYMOの人気に火がつくことになりました。 当時、日本

第18回「テクノポリス」の巻

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今回と次回は、皆さん大好き(かな?) YMO の曲をお送りしたいと思います。 前回ご紹介した「はっぴいえんど」の解散後、細野晴臣さんはソロ活動等を経て、当時急速に進化したシンセサイザー等の電子楽器を用いて、「エキゾチカ」と呼ばれる 1950 ‐ 60 年代にアメリカで流行した南太平洋や東洋をイメージさせるムード音楽を演奏することを思いつきます。これは、欧米の白人がイメージする「東洋」を日本人が演奏するという、何とも倒錯的なものですが、この着想を細野さんは自宅のコタツを囲んで坂本龍一さん(キーボード)と(以前ご紹介した元サディスティック・ミカ・バンドの)高橋幸宏さん(ドラム)に説明して、「世界でレコードを 400 万枚売る。」と豪語したそうです。そして、二人の賛同を得て、昭和 53 ( 1978 )年に YMO ( Yellow Magic Orchestra )が結成されました。 今回ご紹介する「テクノポリス(Technopolis)」は、昭和54(1979)年9月にリリースされたYMOの2枚目のアルバム「Solid State Survivor」のA面1曲目に収録されたYMOを代表する1曲です。 この曲は、DTMを趣味としている自分くらいの年代の人であれば、恐らく誰でもカバーしてみたい曲ではないかと思います。自分もどうしてもやってみたくて、結構な値段で古本のバンドスコアを購入して、挑戦してみました。 それでは、YMOのカバーで「Technopolis」です。 お聞きください。 今回もいつものピアプロから、Dinoさま、レイモンド毒島さま、nonor様の素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、この「Solid State Survivor」は累計で100万枚を超えるセールスを記録し、音楽だけではなく、ファッション等にも多大の影響を与え、日本に「テクノブーム」を巻き起こすことになります。 前回ご紹介した「風をあつめて」から僅か8年で同一人物が制作したとは思えない全く異なる音楽世界を作り上げて、一大ブームを巻き起こす程の大衆性を獲得した細野晴臣さんは、以前ご紹介した加藤和彦さんと並んで、日本のポピュラー音楽界のまさに天才だと思います。 恒例のお口(耳)直しは、昭和55(1980)年6月にフジテレビの「夜のヒットスタジオ」で

第17回「風をあつめて」の巻

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今回ご紹介する「風をあつめて」は、昭和 46 ( 1971 )年 11 月にリリースされた、はっぴいえんどの 2 枚目のアルバム「風街ろまん」に収録された、昭和 40 年代の日本のポピュラー音楽を代表する楽曲で、これまで多数のミュージシャンにカバーされ、現在でも CM ソングに起用されるなど、時代を超えた名曲として評価されています。 さて、この「風街ろまん」ですが、発売当初は一部のマニア以外には、 世間的に 殆ど認知されることはありませんでした。しかし、はっぴいえんどのメンバー:細野晴臣(ベース)、大瀧詠一(ギター) 、鈴木茂(ギター) 、松本隆(ドラム)のその後の活躍により、このアルバムの評価はどんどん上がって、 音楽雑誌などが時折企画する「日本の名盤ロックアルバム」といったアンケートでは、半世紀たった現在でも必ずBEST3には入っており、「日本のロックはすべてここから始まった」的な、半ば神格化されたステータスを獲得しています。(考えてみれば、今の10~20代の人たちが「日本のロックアルバム」なんてアンケートに投票するわけもなく、いつも大体同じようなジジイやオッサンが回答しているものと思われますw) 音楽的なことについては、私のようなトーシローがここでお話することはありませんが、上に掲載した、お世辞にも「爽やか」とは言えない無愛想な若者4人の顔のアップのアルバムジャケットは、「もうちょっとどうにかならなかったのか」と思います。 アルバム制作当時、メンバーにもこのデザイン案は評判が悪かったようなので、後世このアルバムが「歴史的名盤」と評価されると知っていれば、本人たちももっと強硬に反対していたでしょう。(ちなみにアルバムの見開きのイラストはこちらです。自分はこのイラスト気に入っていて、タイトル「風街ろまん」のイメージにもピッタリだと思います。) 前置きがすっかり長くなりました。この辺でウチのMEIKOをご紹介したいと思います。「風をあつめて」お聞きください。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、 柚子茶 さま、expoxy_puttyさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 出来栄えとしては、オリジナルの雰囲気がまぁまぁ出せたのではないかと、個人的には思っています。 さて、この曲の作詞は、皆さんご存じ、この後日本のポ

第16回「春だったね」の巻

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少々ご無沙汰してしまいましたが、皆さん如何お過ごしだったでしょうか? 楽曲の制作も少し進みましたので、ブログを再開することにしました。記念すべきシーズン 2 の第1回目は、 またまたの登場になりますが、 この季節にちなんで、よしだたくろう さんの「春だったね」です。 この曲は、よしだたくろうさんの4枚目のアルバム「元気です。」の A 面の1曲目に収録されています。このアルバムは、発売 1 ヵ月で 40 万枚のセールスを記録し、オリコンアルバムチャートで 14 週連続(通算 15 週) 1 位を独走、アルバム・セールス時代の先鞭をつけるとともに、「シンガー・ソング・ライティング」のミュージシャンの初めてのヒットアルバムであり、 J-POP の原点に位置付けられている作品です。 それでは、早速聞いてください。ウチの MEIKO が唄います「春だったね」です。 今回もいつものピアプロから、煮介さま、mayuさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲は、当時「字余り」と言われた、所謂「拓郎節」の代表曲で、それまでの日本語の曲は一つの音符に一つの文字(音)を配置するのが通常であったのに対して、たくろうさんは当時心酔していたボブ・ディランの影響もあり、一つの音符に複数の文字(音)を詰め込んだ独特の節回しの曲になっています。この曲をウチのMEIKOに歌ってもらうのは、なかなか大変だったのですが、調教のかいあって、自分としては、まぁまぁうまく歌ってもらえたと思っています。 ところで、このアルバムがリリースされたのは、昭和47(1972)年で、最近ニュースでも話題になっている「あさま山荘事件」や「沖縄返還」と同じ年であり、半世紀前の出来事です。(自分が子供の頃、50年なんて途方もない時間のように思えましたが、実際に経ってしまうと、かくも短いものかと感じています。) さて、恒例のお口(耳)直しですが、ご本家の貴重なライブ映像が見つかりましたので、ご紹介します。この動画は、昭和51(1976)年3月にTBSで放映された番組で、当時テレビの歌番組に殆ど出演しなかった、たくろうさんのライブを1時間半も放送するということで、自分もテレビの前に正座して観ていたことを憶えています。それでは、ご本家の「春だったね」をお楽しみください。 この放送がオンエア