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第18回「テクノポリス」の巻

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今回と次回は、皆さん大好き(かな?) YMO の曲をお送りしたいと思います。 前回ご紹介した「はっぴいえんど」の解散後、細野晴臣さんはソロ活動等を経て、当時急速に進化したシンセサイザー等の電子楽器を用いて、「エキゾチカ」と呼ばれる 1950 ‐ 60 年代にアメリカで流行した南太平洋や東洋をイメージさせるムード音楽を演奏することを思いつきます。これは、欧米の白人がイメージする「東洋」を日本人が演奏するという、何とも倒錯的なものですが、この着想を細野さんは自宅のコタツを囲んで坂本龍一さん(キーボード)と(以前ご紹介した元サディスティック・ミカ・バンドの)高橋幸宏さん(ドラム)に説明して、「世界でレコードを 400 万枚売る。」と豪語したそうです。そして、二人の賛同を得て、昭和 53 ( 1978 )年に YMO ( Yellow Magic Orchestra )が結成されました。 今回ご紹介する「テクノポリス(Technopolis)」は、昭和54(1979)年9月にリリースされたYMOの2枚目のアルバム「Solid State Survivor」のA面1曲目に収録されたYMOを代表する1曲です。 この曲は、DTMを趣味としている自分くらいの年代の人であれば、恐らく誰でもカバーしてみたい曲ではないかと思います。自分もどうしてもやってみたくて、結構な値段で古本のバンドスコアを購入して、挑戦してみました。 それでは、YMOのカバーで「Technopolis」です。 お聞きください。 今回もいつものピアプロから、Dinoさま、レイモンド毒島さま、nonor様の素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、この「Solid State Survivor」は累計で100万枚を超えるセールスを記録し、音楽だけではなく、ファッション等にも多大の影響を与え、日本に「テクノブーム」を巻き起こすことになります。 前回ご紹介した「風をあつめて」から僅か8年で同一人物が制作したとは思えない全く異なる音楽世界を作り上げて、一大ブームを巻き起こす程の大衆性を獲得した細野晴臣さんは、以前ご紹介した加藤和彦さんと並んで、日本のポピュラー音楽界のまさに天才だと思います。 恒例のお口(耳)直しは、昭和55(1980)年6月にフジテレビの「夜のヒットスタジオ」で

第17回「風をあつめて」の巻

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今回ご紹介する「風をあつめて」は、昭和 46 ( 1971 )年 11 月にリリースされた、はっぴいえんどの 2 枚目のアルバム「風街ろまん」に収録された、昭和 40 年代の日本のポピュラー音楽を代表する楽曲で、これまで多数のミュージシャンにカバーされ、現在でも CM ソングに起用されるなど、時代を超えた名曲として評価されています。 さて、この「風街ろまん」ですが、発売当初は一部のマニア以外には、 世間的に 殆ど認知されることはありませんでした。しかし、はっぴいえんどのメンバー:細野晴臣(ベース)、大瀧詠一(ギター) 、鈴木茂(ギター) 、松本隆(ドラム)のその後の活躍により、このアルバムの評価はどんどん上がって、 音楽雑誌などが時折企画する「日本の名盤ロックアルバム」といったアンケートでは、半世紀たった現在でも必ずBEST3には入っており、「日本のロックはすべてここから始まった」的な、半ば神格化されたステータスを獲得しています。(考えてみれば、今の10~20代の人たちが「日本のロックアルバム」なんてアンケートに投票するわけもなく、いつも大体同じようなジジイやオッサンが回答しているものと思われますw) 音楽的なことについては、私のようなトーシローがここでお話することはありませんが、上に掲載した、お世辞にも「爽やか」とは言えない無愛想な若者4人の顔のアップのアルバムジャケットは、「もうちょっとどうにかならなかったのか」と思います。 アルバム制作当時、メンバーにもこのデザイン案は評判が悪かったようなので、後世このアルバムが「歴史的名盤」と評価されると知っていれば、本人たちももっと強硬に反対していたでしょう。(ちなみにアルバムの見開きのイラストはこちらです。自分はこのイラスト気に入っていて、タイトル「風街ろまん」のイメージにもピッタリだと思います。) 前置きがすっかり長くなりました。この辺でウチのMEIKOをご紹介したいと思います。「風をあつめて」お聞きください。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、 柚子茶 さま、expoxy_puttyさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 出来栄えとしては、オリジナルの雰囲気がまぁまぁ出せたのではないかと、個人的には思っています。 さて、この曲の作詞は、皆さんご存じ、この後日本のポ

第16回「春だったね」の巻

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少々ご無沙汰してしまいましたが、皆さん如何お過ごしだったでしょうか? 楽曲の制作も少し進みましたので、ブログを再開することにしました。記念すべきシーズン 2 の第1回目は、 またまたの登場になりますが、 この季節にちなんで、よしだたくろう さんの「春だったね」です。 この曲は、よしだたくろうさんの4枚目のアルバム「元気です。」の A 面の1曲目に収録されています。このアルバムは、発売 1 ヵ月で 40 万枚のセールスを記録し、オリコンアルバムチャートで 14 週連続(通算 15 週) 1 位を独走、アルバム・セールス時代の先鞭をつけるとともに、「シンガー・ソング・ライティング」のミュージシャンの初めてのヒットアルバムであり、 J-POP の原点に位置付けられている作品です。 それでは、早速聞いてください。ウチの MEIKO が唄います「春だったね」です。 今回もいつものピアプロから、煮介さま、mayuさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲は、当時「字余り」と言われた、所謂「拓郎節」の代表曲で、それまでの日本語の曲は一つの音符に一つの文字(音)を配置するのが通常であったのに対して、たくろうさんは当時心酔していたボブ・ディランの影響もあり、一つの音符に複数の文字(音)を詰め込んだ独特の節回しの曲になっています。この曲をウチのMEIKOに歌ってもらうのは、なかなか大変だったのですが、調教のかいあって、自分としては、まぁまぁうまく歌ってもらえたと思っています。 ところで、このアルバムがリリースされたのは、昭和47(1972)年で、最近ニュースでも話題になっている「あさま山荘事件」や「沖縄返還」と同じ年であり、半世紀前の出来事です。(自分が子供の頃、50年なんて途方もない時間のように思えましたが、実際に経ってしまうと、かくも短いものかと感じています。) さて、恒例のお口(耳)直しですが、ご本家の貴重なライブ映像が見つかりましたので、ご紹介します。この動画は、昭和51(1976)年3月にTBSで放映された番組で、当時テレビの歌番組に殆ど出演しなかった、たくろうさんのライブを1時間半も放送するということで、自分もテレビの前に正座して観ていたことを憶えています。それでは、ご本家の「春だったね」をお楽しみください。 この放送がオンエア

第15回「恋人がサンタクロース」の巻

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第15回は、この季節に相応しい松任谷由実(ユーミン)さんの「恋人がサンタクロース」です。この曲は、昭和55(1980)年にリリースされたユーミンの10枚目のアルバム「Surf & Snow」に収録された楽曲で、山下達郎さんの「 クリスマス・イブ 」と並んで我々世代の代表的なクリスマスソングとなっています。(と、ここまで書いて気付きましたが、当時は洋楽でもWham!の Last Christmas やJohn Lennonの Happy Xmas など素敵なクリスマスソングがヒットしましたが、最近はとんと聞きません。私が知らないだけでしょうか?) コラムニストの小田嶋隆さんによれば、この曲のヒットでクリスマスが、「サンタクロースと子供たちのイベント・宗教行事から恋人たちの一大恋愛イベントに変わった。」とのことですw 確かに、自分が子供の頃に、年頃のお嬢さんにプレゼントを配るサンタクロースなんて、聞いたことなかったですねww それでは、ウチのMEIKOが本家のユーミンに寄せて歌ってみました、「恋人がサンタクロース」です。お聞きください。 いかがでしたでしょうか? 今回もいつものピアプロから、ちゃー子さま、Kottouyaさま、智(とも)さま、ARAQさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ところで、この曲のオリジナルで は、松原正樹さんというギタリストが演奏しています。一般には馴染みのない方ですが、昭和50~60年代にかけてスタジオミュージシャンとして、ユーミンを始め、松田聖子さんや松山千春さん、徳永英明さんなど当時の名だたるミュージシャンのレコーディングに参加し、トータルの録音した楽曲はなんと1万曲以上! その中でもこの「恋人がサンタクロース」は、 松山千春さんの「 長い夜 」や松田聖子さんの「 時間の国のアリス 」などと並んで彼の名演の一つとして評価されています。 平成28(2016)年2月、この曲を作るためにギターを頑張ってコピーしていたちょうどその時、彼の訃報に接し、偶然とはいえ何か因縁めいたものを感じてしまいました。享年61歳、お元気であればまだまだ素敵なギターが演奏できる年齢なのに、・・残念です。合掌。 さて、恒例のお口(耳?)直しですが、本来であれば松原さんが演奏したオリジナル版をご紹介したいところですが、これが見

第14回「一触即発」の巻

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(自分で言うのもなんですが、) 大作です。今までご紹介した曲の演奏時間は大体3~4分に対して、この曲は何と11分29秒! ネットでバンドスコアを発見した時には、大変な作業になるのは分かっていたのですが、思い入れのある曲だったので、思い切って挑戦してみましたが、やっぱり大変でしたw 通常の曲は休日の 空いた時間に作業して1ヵ月位で仕上がるのですが、この曲は完成まで約4ヵ月。長いだけでなく、途中、頻繁に転調になるわ、拍が変わるわ、ギターは難しいわ、ドラムやベースのパターンは複雑と、途中で投げ出したくなりましたが、なんとか仕上げました。 という訳で、今回の曲は、日本のプログレッシブ・ロック(通称:プログレ)の代表曲、四人囃子の「一触即発」です。 (このブログを見に来ている皆さんはご存知かとは思いますが、)「プログレッシブ・ロック」というのは、ロックの一ジャンルで、電子楽器を多用して、クラッシックなどの他ジャンルの音楽のエッセンスを取り入れ、歌よりもインストゥルメンタルが中心の楽曲で、代表的なバンドとしては、Pink FloydやYesなどが有名です。 今回ご紹介する四人囃子は、日本の代表的なプログレ・バンドで、昭和44(1969)年頃、高校在学中であったギターの森園勝敏さんとドラムの岡井大二さんを中心に結成され、この「一触即発」は、昭和49(1974)年にリリースされた彼らの同名のデビューアルバムの中の1曲です。一般的には殆ど知られていませんが、当時のロック小僧の間では、知る人ぞ知る日本のプログレを代表する1曲として評価されています。 それでは、渾身の1曲です。四人囃子のカバーで「一触即発」をお聞きください。 いかがでしたでしょうか。(それにしても高校時代にこの曲をライブで演奏したT君やK君、Iさん、U君はホントに上手でした。わかる人にしかわからない話ですが、・・) さて、今回はインストゥルメンタルが中心の楽曲なので、初の試みとして高校時代のお友達がFBに投稿した写真を利用させていただきました。(Kさん、Aくん、Kくん、ありがとうございました。)また、いつものピアプロからnezukiさま、壱加さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 プログレが流行していたのは、昭和40年代半ば(1970年頃)から50年代(1980年代半ば)にかけてですが、

第13回「DIAMONDS」の巻

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今回は、冒頭まず皆さんにお詫びしなければなりません。というのも、このブログを始めるに当たってタイトルを決めるときに、「自分がカバーする曲は昭和以降の曲はないだろう。」と考えて、「ギターとボカロと昭和の日々」としたのですが、今回ご紹介する「DIAMONDS」のリリースは、後から分かったのですが、平成元年( 1989 年)4月ということで、わずか4カ月ではありますが、昭和から平成の御代になってからの楽曲であり、「看板に偽りあり」となってしまいました。申し訳ございません m(__)m というわけで、今回ご紹介する「DIAMONDS」ですが、当時としては珍しかった女性だけのロックバンド、プリンセス プリンセス(略称:プリプリ)の代表曲であり、レコード(CD)の総売上げ枚数は累計170万枚、平成元年のオリコンチャート第1位、この曲のヒットによりプリプリは、史上最も商業的に成功したガールズバンドと言われるようになりました。 ウチの長女は、ちょうど彼女たちが人気絶頂の頃に生まれたのですが、半ば冗談半ば本気で、プリプリのボーカルである奥居香さんのようになってくれたらと思い、生後間もない彼女を抱っこして手を振って、「みんなどうもありがとう!」とコンサートで観客の声援に応える仕草をさせたものでした。(そんな彼女も今では堅気の勤め人として毎日真面目に会社に行ってます。) さて、今回の曲の仕上がりですが、アップテンポでビートのきいたこの曲は、 うちのMEIKOが得意とするところであり、自分としては、結構イケてる出来になったと思います。 それでは、うちのMEIKOの「DIAMONDS」お聞きください。 今回もいつものピアプロから、 namiyoshiさま、けいんさま、妃。さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲のタイトル「DIAMONDS」は、 宝石のダイヤと工業用ダイヤが使われているレコード針の二つの意味があることを、今の若い人には たぶん 理解できないだろうということは、容易に想像がつきますが、この曲を解説したウィキペディアを見たら、「ブラウン管とはテレビのことである。」書いてあり、「ブラウン管」も説明が必要な言葉になってしまたのかと・・・(愕然) さて、この曲がヒットした平成元年は、その年の12月に日経平均株価が史上最高値をつけた、バブルのピーク

第12回「Close to you」の巻

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自分がカーペンターズに初めて出合ったのは、小学生の頃、以前お話しした父親の本家に遊びに行ったときだったと思います。素敵な音楽が流れていた従兄のお兄さんの部屋に行くとステレオの傍にはこのレコードジャケットがありました。 このアルバムは、有名な「Sing」や「Yesterday Once More」などが収録された「Now&Then」という彼らの代表作の一つですが、その時は正直、音楽自体にはそれ程ピンとはこなかったのですが、真っ赤なスポーツカーとお洒落な白い家のイラストを見て、「アメリカって、みんなお金持ちなんだろうなー」と思ったことを憶えています。 その後、以前お話しした親に買ってもらったラジオを聴いていると、頻繁に彼らの音楽がかかっていて、いつしか自分も好きになっていきました。 カーペンターズは、本国アメリカではもちろんのこと、日本での人気も相当なもので、自分の感覚では、これまでの洋楽アーティストの中では、ビートルズは別格としても、クィーンとは双璧をなす位の人気だったと思います。 事実、人気絶頂期の昭和49(1974)年の3回目の来日公演では、チケットの販売はハガキの応募による抽選で行われ、応募総数は何と38万通(!)で、その中で当選はたったの3万通だったそうです。 公演の模様は、テレビでも放映され(確か日曜の午後だったと思ます。)自分もテレビの前で釘付けになって観ていたことを憶えています。 今回、ご紹介する「(They long to be)Close to you(邦題:遥かなる影)」は、昭和45(1970)年にリリースされ、彼らにとって初めてのNo.1ヒットソングとなりました。 自分もカーペンターズの曲の中では、この曲が一番のお気に入りで、たまたまネットでバンドスコアを発見したものですから、ウチのMEIKOに歌わせてみようと挑戦してみました。それでは、お聞きください。カーペンターズのカバーで「Close to you」です。 いかがでしたでしょうか? オーナーに似て英語は 相変わらず イマイチで、いつにもまして「ナンチャッテ」感が強い出来となってしまいましたが、まぁ、頑張って歌いましたので、どうかご容赦くださいm(__)m 今回もいつものピアプロから、しん。さま、afterさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお