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第13回「DIAMONDS」の巻

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今回は、冒頭まず皆さんにお詫びしなければなりません。というのも、このブログを始めるに当たってタイトルを決めるときに、「自分がカバーする曲は昭和以降の曲はないだろう。」と考えて、「ギターとボカロと昭和の日々」としたのですが、今回ご紹介する「DIAMONDS」のリリースは、後から分かったのですが、平成元年( 1989 年)4月ということで、わずか4カ月ではありますが、昭和から平成の御代になってからの楽曲であり、「看板に偽りあり」となってしまいました。申し訳ございません m(__)m というわけで、今回ご紹介する「DIAMONDS」ですが、当時としては珍しかった女性だけのロックバンド、プリンセス プリンセス(略称:プリプリ)の代表曲であり、レコード(CD)の総売上げ枚数は累計170万枚、平成元年のオリコンチャート第1位、この曲のヒットによりプリプリは、史上最も商業的に成功したガールズバンドと言われるようになりました。 ウチの長女は、ちょうど彼女たちが人気絶頂の頃に生まれたのですが、半ば冗談半ば本気で、プリプリのボーカルである奥居香さんのようになってくれたらと思い、生後間もない彼女を抱っこして手を振って、「みんなどうもありがとう!」とコンサートで観客の声援に応える仕草をさせたものでした。(そんな彼女も今では堅気の勤め人として毎日真面目に会社に行ってます。) さて、今回の曲の仕上がりですが、アップテンポでビートのきいたこの曲は、 うちのMEIKOが得意とするところであり、自分としては、結構イケてる出来になったと思います。 それでは、うちのMEIKOの「DIAMONDS」お聞きください。 今回もいつものピアプロから、 namiyoshiさま、けいんさま、妃。さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲のタイトル「DIAMONDS」は、 宝石のダイヤと工業用ダイヤが使われているレコード針の二つの意味があることを、今の若い人には たぶん 理解できないだろうということは、容易に想像がつきますが、この曲を解説したウィキペディアを見たら、「ブラウン管とはテレビのことである。」書いてあり、「ブラウン管」も説明が必要な言葉になってしまたのかと・・・(愕然) さて、この曲がヒットした平成元年は、その年の12月に日経平均株価が史上最高値をつけた、バブルのピーク

第12回「Close to you」の巻

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自分がカーペンターズに初めて出合ったのは、小学生の頃、以前お話しした父親の本家に遊びに行ったときだったと思います。素敵な音楽が流れていた従兄のお兄さんの部屋に行くとステレオの傍にはこのレコードジャケットがありました。 このアルバムは、有名な「Sing」や「Yesterday Once More」などが収録された「Now&Then」という彼らの代表作の一つですが、その時は正直、音楽自体にはそれ程ピンとはこなかったのですが、真っ赤なスポーツカーとお洒落な白い家のイラストを見て、「アメリカって、みんなお金持ちなんだろうなー」と思ったことを憶えています。 その後、以前お話しした親に買ってもらったラジオを聴いていると、頻繁に彼らの音楽がかかっていて、いつしか自分も好きになっていきました。 カーペンターズは、本国アメリカではもちろんのこと、日本での人気も相当なもので、自分の感覚では、これまでの洋楽アーティストの中では、ビートルズは別格としても、クィーンとは双璧をなす位の人気だったと思います。 事実、人気絶頂期の昭和49(1974)年の3回目の来日公演では、チケットの販売はハガキの応募による抽選で行われ、応募総数は何と38万通(!)で、その中で当選はたったの3万通だったそうです。 公演の模様は、テレビでも放映され(確か日曜の午後だったと思ます。)自分もテレビの前で釘付けになって観ていたことを憶えています。 今回、ご紹介する「(They long to be)Close to you(邦題:遥かなる影)」は、昭和45(1970)年にリリースされ、彼らにとって初めてのNo.1ヒットソングとなりました。 自分もカーペンターズの曲の中では、この曲が一番のお気に入りで、たまたまネットでバンドスコアを発見したものですから、ウチのMEIKOに歌わせてみようと挑戦してみました。それでは、お聞きください。カーペンターズのカバーで「Close to you」です。 いかがでしたでしょうか? オーナーに似て英語は 相変わらず イマイチで、いつにもまして「ナンチャッテ」感が強い出来となってしまいましたが、まぁ、頑張って歌いましたので、どうかご容赦くださいm(__)m 今回もいつものピアプロから、しん。さま、afterさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお

第11回「You may dream」の巻

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今回はシーナ&ザ・ロケッツの「You may dream」をご紹介します。 シーナ&ザ・ロケッツは、福岡を拠点に活動していたギタリストの鮎川誠さんと奥さんのシーナさんを中心に 昭和53(1978)年に結成され、この「You may dream」は、昭和54(1979)年にリリースされた2枚目のシングルで、このバンドの代表曲となっています。 この曲の作曲とプロデュースは、ご存じYMOの細野晴臣さんで、YMOがあの歴史的名盤「Solid State Survivor」を制作していた隣のスタジオで、シーナ&ザ・ロケッツもアルバム を制作していた関係で、細野氏がプロデュースを引き受け、その代わりに鮎川氏は、あの歴史的名盤にギタリストとして参加したそうです。(たまたま隣のスタジオだったという話は、どっかで聞いた話で確証はありません。) 今回のカバーの出来ですが、この曲は途中で英語のセリフがあるのですが、オーナーに似て、MEIKOも英語はどうにも苦手です。メロディーのついた歌詞でも四苦八苦ですが、メロディーのないモノローグとなると殆どお手上げですヽ(^o^)丿ただその他のところは、結構上手くできた方だと思いますので、聞いてやってください。 シーナ&ザ・ロケッツのカバーで「You may dream」です。 いかがでしたでしょうか? 因みにタカタカタンと入っているカスタネットはオリジナルを真似てみましたが、オリジナルの音も当時の最先端のシンセで作った音だそうですが、40年以上経った今では、自分のようなトーシローでも簡単に作れるようになりました。 今回もいつものピアプロから、和葵さま、星架月さま、カラコロさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m ところで、このバンドのリーダー鮎川誠さんは、長身で髪を短くカットしてセルフレームの眼鏡をかけ、当時のロックギタリストとしては異色の風貌ですが、トレードマークの黒のギブソン・レスポールを演奏する立ち姿はカッコよく、日本人でレスポールを抱えた姿がこれほどサマになる人は他にいないだろうと思います。 というわけで、今回のお口直しは、(このバンドを実際に見たことがない人も多いと思い、)本家の「You may dream」をご紹介します。 いかがでしたでしょうか。 (なお、素敵なボーカルを聞かせてくれたシーナさ

第10回「Down Town」の巻

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(このブログを書いているのは、2021年8月9日。前日は東京五輪の閉会式がありました。東京での開催が決まった時に思い描いていたものとは全く違った形になってしまいましたが、個人的にはやって良かったと思います。このブログの趣旨とは関係のない話ですが、将来、読み返した時のための記念カキコです。) このブログもおかげさまで10回目を迎え、節目の回に相応しい曲ということで、今回はシュガー・ベイブの「Down Town」をご紹介します。 「シュガー・ベイブ」と言ってもご存知ない方も多いかもしれませんが、このバンドは、日本のKing of Pop(と自分は呼んでいます)、山下達郎さんが在籍しており、シュガー・ベイブがリリースした唯一のアルバム「Songs」は、彼の実質的なデビューアルバムです。 (Songsのアルバム。ジャケットです。) このアルバムがリリースされたのは、 昭和50(1975)年ですが、 以前ご紹介したサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」同様、この「Songs」も今でこそ日本のポピュラー音楽史上に残る傑作と位置付けられており、発売後30年の平成17(2005)年と40年の平成27(2015)年には、記念盤も制作される程、息の長い人気を博していますが、その当時は全く売れず、殆ど話題にすらなりませんでした。 自分もこのアルバムを聴いたのは、ずっと後になってからですが、このアルバムのリリース当時のヒット曲というと、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」w、布施明さんの「シクラメンのかほり」といったところであり、あの時代にこんな素敵な楽曲をリリースしていたというのは、本当にスゴイと思いました。 それでは、アルバム「songs」から、ウチのMEIKOが歌います「Down Town」お聞きください。 ウチのMEIKOは頑張っているのですが、ほんとにギターがへたっぴですいませんorz 今回もいつものピアプロから、ルミナさま、さくみゃさま、hata_hataさまの素敵なイラストを使用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m 今回ご紹介した、この「Down Town」は本当に数多くのミュージシャンにカバーされており、今回たまたまこんな動画を発見しました。是非ご覧ください。 Juice=Juice 「Down Town」 このJuice=Juiceは、ハロプロ所属の女性

第9回「人生を語らず」の巻

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厨房の時に寮の部屋で夜勉強をしながら聞いていたラジオから、この曲が流れてきた時の衝撃は、今でも憶えています。たくろうさんの熱く激しいシャウトと非常に深い内容の歌詞にいたく感動し、以来、この曲をずっと聞き続け、困難な時にはずいぶんと励まされてきました。 そう言った意味では、今回ご紹介するよしだ たくろうさんの「人生を語らず」は、自分にとってのmy favorite song といえる曲だと思います。 たくろうさんは、昭和47(1972)年にCBSソニーレコードに移籍後、最初にリリースしたレコードが前回ご紹介した「結婚しようよ」で、以降リリースされた3枚のアルバム「元気です」「伽草子」「LINE`73」も全て大ヒットし、そして、これらの後に続く、この 「人生を語らず」が収録されたアルバム「今はまだ人生を語らず」は、昭和49(1974)年12月に リリースされ、オリコンチャート1位となります。さらに翌年(昭和50年)8月には、静岡県つま恋で「かぐや姫」と共に、当時としては驚異的な5万人以上の観衆を集めたオールナイトコンサートを成功させます。 (「今はまだ人生を語らず」のアルバムジャケットです。) このように「今はまだ人生を語らず」は、たくろうさんの長いキャリアの中でも絶頂期の代表作であり、このアルバムは、個人的には彼の最高傑作だと思います。 それでは、うちのMEIKOも気合を入れて歌っていますので聞いてください。よしだたくろうさんのカバーで「人生を語らず」です。 いかがでしたでしょうか?今回もピアプロから、シイ夫さま、nashiroさま、ryo848さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、この名盤「今はまだ人生を語らず」ですが、現在は完全なオリジナル版としては発売されていません。というのも、このアルバムのA面の1曲目は、これまた名曲「ペニーレインでバーボン」という曲なんですが、この曲は現在発禁になっています。(話は脱線しますが、この曲の影響で同店は、「フォークの聖地」と称され、70年代の原宿を代表するカフェとなり、修学旅行のコースにもなるほどの人気を博したそうです。小生も一度行ってバーボンを飲んでみました。テヘ) この発禁の理由なんですが、この曲の1節「テレビは一体だれのためのもの 見ているものはいつもツ〇ボ桟敷」の「ツ〇

第8回「結婚しようよ」の巻

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自分が小学生の頃、お盆の時期とお正月は、父親の本家に行くことが習慣になっていました。本家には自分より年長の男の従弟が3人いて、彼らからいろいろ新しい情報を仕入れていました。その時、一番上の従弟は高校生で、ラジオの深夜放送を楽しんでいるという話を聞き、自分も親におねだりしてラジオを買ってもらいました。 その買ってもらったラジオでベストテン番組を聞いていたところ、全く聞きなれない音楽が流れてきて、歌詞ではなく、伴奏の音楽がとてもカッコいいと思った最初の曲であり、自分が音楽好きになったきっかけの曲が、今回ご紹介する、よしだ たくろうさんの「結婚しようよ」です。 「結婚しようよ」は、昭和47(1972)年1月リリースで、40万枚を超えるヒットとなり、よしだ たくろうさんを一躍スターダムに押しあげた楽曲で、歌い手が作詞・作曲もする、いわゆるSinger,Song,Writingの楽曲としては、おそらく日本初のヒット曲であり、J-POPの原点とも評されています。 で、今回のうちのMEIKOのカバーですが、これが正直、全然ダメorz  いろいろやってみたのですが、ギターの音をはじめ、自分が感動した原曲の雰囲気がうまく出せずじまいでした。やはりDTMの場合、アコースティック主体の曲は、電気楽器が主体の曲よりも難しいようです。 まぁ、そうはいっても、聞いてやってください。うちのMEIKOの「結婚しようよ」です。 いかがでしたでしょうか? 今回も、いつものPiaproから、ちまきさまとみかんみかみかさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、オリジナル版ですが、(実質的な)プロデュースとギターは、前回ご紹介した「天才」加藤和彦さん(やっぱり天才です)。ベースも前回ご紹介した小原礼さんですが、最近、たくろうさんがこの時のレコーディングの様子を語った動画を発見したのですが、その中で「小原、この時1音間違えたんだよね。」と語っていました。(数十年経っても、些細なミスを覚えてるたくろうさん怖いw 素人の自分では、どこがミスなのか皆目わかりません。) オルガンとバンジョーは、後のユーミン旦那こと松任谷正隆さんで、人生初のレコーディングだったそうでなんですが、その曲が大ヒットとなり、「ヒット曲なんて簡単にできるもんだ。」と思ったそうです。(持ってる人は

第7回「タイムマシンにおねがい」の巻

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第7回目は、サディスティック・ミカ・バンド(長いので、以下「SMB」) の「タイムマシンにおねがい」をご紹介します。 SMB のリーダーで、この曲の作曲者でもある加藤和彦さんは、昭和22(1947)年生まれ、昭和42(1967)年に当時活動していたバンド「ザ・フォーク・クルセイダーズ」(通称フォークル)の解散記念として自主制作した「 帰って来たヨッパライ 」が話題となり、プロデビュー。このブログをご覧の皆さんの多くはご存知かと思いますが、この曲は、テープの早回しやオーバーダビング等を多用した、当時の録音技術を考えれば、非常に実験的な楽曲であり、それを一介のアマチュア・ミュージシャンが制作し、そのレコードが日本初のミリオンセラーを記録しました。 フォークル解散後には、奥さんのミカさんをボーカルにSMBを結成。昭和49(1974)年にビートルズなどを手掛けた英国の名プロデューサー、クリス・トーマス氏を迎えて、日本のロック史に残る名盤「黒船」をリリース。「タイムマシンにおねがい」はこのアルバムに収録されています。 (「黒船」のアルバムジャケットです。) この「黒船」のA面は、同曲以外は(モノローグが入った曲が1曲ありますが、)ロックのインストゥルメンタルで、黒船来航時の江戸の喧騒が非常によく表現されています。(「帰って来たヨッパライ」といい、この「黒船」といい、「天才」というのは、まさにこういう人のことを言うのかと・・) そして、この「タイムマシンにおねがい」は、シンプルなロックンロールなんですが、腕のいいミュージシャンと名プロデューサーにかかれば、こんなカッコいい曲に仕上がってしまううんですねー。この曲のコードは、何とA、C、D、Eだけ(!)で、初心者でも比較的簡単に演奏できることから、かつては(今でも?)ロックバンドの入門曲として、日本のロックのスタンダードになっています。 前置きが長くなりましたが、ウチのMEIKOの「タイムマシンにおねがい」、お聞きください。 この曲では、特段の「調教」(ボカロの世界では、パラメーターの調整をこう呼びます。)はしていないのですが、ウチのMEIKOは、本当に気持ちよく歌ってくれていて、バックの演奏はともかく、MEIKOのボーカルという意味では、この曲が、これまでのところのベストテイクだと思います。 さて、その後のSMBですが、ミカさん