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第26回「さよなら」の巻

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(よその国のことはよく知らないので、比較はできませんが、)日本のポピュラーソングは、季節感がある歌が非常に多いのが特徴ですね。その背景には、よく言われるように、日本には四季があり、季節ごとに気候の変化がはっきりしていることと、昭和の時代、ポピュラー歌手のメインの仕事は、シングルレコードの売り上げを伸ばすことにありましたから、3~4カ月毎にリリースされる楽曲は必然的に季節感がある歌が多くなったんだと思います。 このように季節感のある楽曲を多くカバーしていますので、閲覧数が100にも満たないブログですが、自分もそれなりにリリースする曲の季節感は意識しています。今回ご紹介するこの曲も実は昨年秋の配信を予定していたのですが、作業が遅れて年が明けてしまったので、1年待って動画をUPすることにしました。 オフコースは、ボーカルの小田和正さんを中心に結成され、昭和45(1970)年にデビュー。小田さんは神奈川の名門、聖光学院から東北大学建築学科に進んだ秀才でしたが、建築家の道を捨てて、音楽の道を選択します。バンド名のオフコースの英語表記は、"Of Course"(=もちろん)ではなく、"Off Course”(=道を 外れる)となっているのは、そんな彼の決意を表しています。 今回ご紹介する「さよなら」は、昭和54(1979)年、17枚目のシングルとしてリリースされ、オリコンチャート2位にランクインして、彼ら最大のヒット曲となり、デビューから苦節10年、ようやく人気バンドとしての地位を確立することになりました。(このブログを書くまで、彼らがこの曲の前に16枚もシングルを出していたとは知りませんでした。苦労したんですね。) 前置きが大分長くなってしましました。昨年秋の制作ということで、いつものMEIKOが歌います。「さよなら」お聞きください。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、日灯止さま、茶入敬文さま、夕穂道さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 今回の配信に当たって、聞き直したところギターソロがどうにも気に入らなかったので、その部分だけ録り直したんですが、前の録音も消去しないで、小さな音で再生することでユニゾンの効果を狙ってみましたが、何だか微妙な仕上がりになってしまいました。(苦笑) 話は変わって、今

第25回「君の瞳に恋してる」の巻

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今回ご紹介する「君の瞳に恋してる」は、自分が大学時代を振り返った時に真っ先に思い出す曲で、以前からカバーしたいと思い、ネットで楽譜を探しても見つからなかったのですが、最近マックカフェのTVCMで起用されて世間で再注目されたせいか、楽譜販売サイトにアップされているのを発見して、ようやくカバーすることができました。(この曲に限らず最近TVCMで流れてくる曲は、我々が若い時の曲がホント多いですね。ジジイに媚びを売っても仕方ないんですけどね・・) この曲は、元々はアメリカのフランキー・ヴァリという男性歌手のヒット曲ですが、昭和57(1982)年にアメリカのディスコグループ、ボーイズ・タウン・ギャングがカバーして日本や英国で大ヒット。日本でも椎名林檎さんを始め多くのミュージシャンにカバーされています。 さて、今回は洋楽ということで、英語の苦手なMEIKOでは、満足いくものができないと考え、思い切ってYAMAHAの最新ソフト「VOCALOID 6」を購入しました。(価格は27,500円、この手のソフトにしては結構な値段でした。) このソフトには、HARUKA、AKITO、ALLEN、SARAH、KEN、KAORI、AMY、CHRISと、何と8人のVoiceが搭載されており、こらからは、MEIKOに加えて9人のラインアップで、楽曲が制作できるようになりました。で、今回は当然のことながら、英語が上手い女性ボーカルに歌わせてみました。 それでは、お聞きください。期待の大型新人!w、SARAHの「君の瞳に恋してる」です! さすが最新のAI掲載ソフトというだけあって、自分としては、結構満足のいく仕上がりとなりましたが、如何でしたでしょうか?  尚、今回もいつものピアプロからトユさま、カラコロさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、毎回恒例のお口(耳?)直しですが、今回はそのものズバリ、本家の動画をご紹介します。 この映像を始めて観たのは、ヒットしていた時ではなく、後年になってからですが、最初は「ネタ」かと思いましたw ボーイズ・タウン・ギャングというグループ名から、自分はスカパラのような大人数のバンド編成で演奏しているものだとなんとなく想像していましたが、自分の勝手なイメージと実際との落差に唖然としたことを憶えています。 それから、ちょっ

第24回「ファンキー・モンキー・ベイビー」の巻

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今回は、日本のロックを語るうえで絶対に外せないバンド、キャロルのご紹介です。 キャロルは、昭和47(1972)年、矢沢永吉さん(ベース・ボーカル)の呼びかけに応じたジョニー大倉さん(サイドギター・ボーカル)、内海利勝さん(リードギター)、ユウ岡崎さん(ドラムス)の4人で結成。 横浜のディスコ等で演奏活動を続ける中、フジテレビの番組「リブ・ヤング」での演奏が、ミュージシャン兼プロデューサーのミッキー・カーチスさんの目に留まり、レコードデビューすることになります。 (実は、自分はこの放送を見ていた記憶があります。他の出演者が長髪でチェックのシャツにジーンズという、拓郎さんと同じようなファッションだったのに対して、キャロルはリーゼントに革ジャンといういでたちで、「なんか恐そうな兄ちゃんたちだなー」と彼らを見て当時の自分がそう思ったことを憶えています。) このキャロルのファッションは、ジョニー大倉さんのアイディアらしいのですが、ビートルズがレコードデビュー前のハンブルグでブイブイ言わせていた時代の衣装を参考にしたそうです。(キャロルがデビューする以前、グループサウンズが全盛の頃、 タイガースなどが、 同じビートルズでも「サージェント・ペパーズ」の頃のミリタリールックの衣装を着ていましたが、それよりも古い時代のファッションに着目したのは、さすがのセンスですね。) シンプルな分かりやすい音楽性とこのちょっと悪そうなファッションが、当時のツッパリ系(今でいうヤンチャ系)の兄ちゃん姉ちゃん達の絶大な支持を得て、瞬く間に人気者になっていきます。キャロル登場までは、このようなちょっと不良っぽい若者をターゲットにしたミュージシャンはおらず、その意味でキャロルは新しいマーケットを開拓したと言えるでしょう。 さて、今回ご紹介する「ファンキー・モンキー・ベイビー」は、7枚目のシングルとして、昭和48(1973)年6月リリース(これも50年です!)。30万枚を売り上げ、キャロル最大のヒット曲となりました。 前振りが長くなりました。それでは、お聞きください。ウチのMEIKOが歌います「ファンキー・モンキー・ベイビー」です。 今回もいつものピアプロからすけぇちよさま、はなこさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ガキの頃この曲を最初に聞いた時、「ファンキー・モンキー

第23回「帰れない二人」の巻

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これまで、わがアイドル吉田拓郎さんの曲は3曲ご紹介してきましたが、拓郎さんばかり取り上げて、この人を取り上げないのはいかがなものか、という声にお応えして(誰も言ってないぞw)、今回は井上陽水さんの名曲「帰れない二人」をご紹介します。 この曲は、日本音楽史上初のミリオンセラーアルバムとなった「氷の世界」に先行して発売されたシングル「心もよう」のB面に収録されて昭和48(1973)年9月にリリースされました。(これも今年で50年です!) 陽水さんを始めバックのメンバーは、「帰れない二人」をA面に推していたそうですが、レコード会社の判断で「心もよう」がA面になったそうです。(「心もよう」もよい曲なんですが、今聞くとちょっとベタな感じがします。ただ、当時の音楽的な状況を考えれば、レコード会社の判断としては、これが正解だったんだと思います。) さて、今回の楽曲制作ですが、いつも以上に苦労しました。特に後半の盛り上がりのところが、なかなかオリジナルの雰囲気を出せなくて、とりわけギターソロは難しいフレーズではないんですが、音がイマイチで残念な感じですorz  ただ、ウチのMEIKOは頑張って歌ってますんで、聞いてやってください。 井上陽水さんのカバーで「帰れない二人です。」 如何でしたでしょうか? 今回もいつものピアプロから、素依さま、お茶!さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ところで、この曲は陽水さんと、このブログの第1回でご紹介したRCサクセションの忌野清志郎さんの合作です。なんでも、清志郎さんが陽水さんのアパートに遊びに行ったときに、二人で曲を作ろうという話になって、曲は清志郎さんの他の曲のコード進行を参考にして、歌詞は一番を陽水さん、二番は清志郎さんが後日陽水さんに電話で伝えて、この名曲ができたそうです。(清志郎さん談。陽水さんの話では、詩は清志郎さんと1‐2行ずつ交互に作っていったそうです。二人の記憶が全然違うのが可笑しい。) いずれにしても、狭いアパートでエッジのきいた風貌のお二人がギター片手にあれこれ相談している姿を想像すると、なかなかシュールな感じですね。(この時は、二人とも日本を代表するミュージシャンになるなんて想像してなかったでしょうね・・・) ということで、お口(耳)直しはお二人のデュオをお楽しみください。 清志郎さんは

第22回 「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

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今回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今」をご紹介します。 甲斐バンドは福岡出身、昭和49(1974)年にデビュー、バンド名の「甲斐バンド」は元々仮名だったものが、他にしっくりくるものがなかったので、そのまま正式名になったそうです。(ボーカルと作詞・作曲を手掛ける甲斐よしひろさんがバンドの中心であることは間違いないのですが、よくこのバンド名でほかのメンバーが納得したものだと・・・) 今回ご紹介する「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、昭和53(1978)年12月にリリースされた11枚目のシングルで、それまでコンサート活動等を通じて、音楽好きの若者の知名度は高かったものの、一般の人たちにはそれ程知られていませんでしたが、同曲がSEIKOのCMソングに起用されたことで、オリコンの週間チャートで1位を獲得し、バンドの知名度を一気に引き上げることとなりました。それでは、ウチのMEIKOが頑張って歌っています。「HERO(ヒーローになる時、それは今)」お聞きください。 如何でしたでしょうか? 今回も動画作成に当たり、いつものピアプロから、yamaponさま、S20さま、ruceさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲がヒットした頃、自分は親元を離れて学校の寮で生活をしていまして、土曜日の授業が終わり、昼食を食べて自室に戻ると、ラジオのスイッチを入れて「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」を必ず聞いていました。寮の友人たちも同様にこの番組を聞いていて、ほぼ全ての部屋から同じ歌が聞こえていました。 この曲を聴くと、何故かその時の情景をいつも思い出します。(ネットで調べてみたら、土曜の13-14時はスポンサーは変わったものの、40年以上経った今でも音楽ヒットチャート番組をやっている「奇跡の枠」だそうです・・・知らなかった・・・) 恒例のお口(耳)直しですが、ここは素直にご本家のライブをご紹介します。(TBSのザ・ベストテンの録画なので、いつまでUPされているか分かりませんが、・・・・) この当時の甲斐さんは、これこそロック・ボーカリストって感じで、ホントカッコいいですよね。 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回は1カ月後くらいに井上陽水さんの「帰れない二人」をご紹介する予定ですので、また覗きに来

第21回 「なごり雪」の巻

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大変ご無沙汰してしまいました。久々のブログ更新です。 今回は、あら懐かしい昭和のフォークの名曲「なごり雪」をご紹介します。 なごり雪は、フォークグループ、かぐや姫の伊勢正三さんの作詞・作曲で昭和49(1974)年、4枚目のアルバム「三階建の詩」に収録されていますが、世間的には、昭和50(1975)年にリリースされたイルカさんのカバーが有名ですね。このレコードは、累計80万枚を売り上げ、イルカさん最大のヒット曲になりました。 今回のウチのMEIKOのカバーですが、初のコラボ企画ということで、中学・高校時代のお友達のMさんが地方の鉄道や土木建築物の動画をYou TubeにUPしていましたので、お願いしてこの曲にマッチする動画を制作していただきました。いつもとは違う趣きの動画になりましたので、是非ご覧ください。 Mさん、手間暇かけて旅情あふれる動画を作成いただき、ありがとうございましたm(__)m ところで、昭和時代の男女の別れのパターンとしては、「木綿のハンカチーフ」に代表されるように、生まれ故郷から旅立つ男性と故郷に残る女性、というのが一般的ですが、この歌では、東京から離れる女性と東京に残る男性の別離を歌っています。なかなかレアなシチュエーションですが、想像するに、これは父親を説得して東京の大学に来たものの、東京で就職することを強硬に反対されて、しぶしぶ故郷に帰る娘、といったところでしょうか。(結局、旅立つときに見送ってくれるような彼氏を作っていたわけですから、お父さんの懸念は的中したわけですw) さて、恒例のお口(耳?)直しですが、イルカさんとかぐや姫の南こうせつさん、伊勢正三さんが共演している動画を発見しましたので、こちらをご紹介します。 久しぶりにイルカさんの唄声を聞きましたが、しっとりとした情感が素敵ですね。 最後に、今回はどうしてももう一つご紹介したい動画がありまして、自分の余計な説明は抜きに次の動画をお楽しみください。 嘉門達夫さん、天才です!ww 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうござました。次回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」を予定していますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

番外「皆さん、良いお年を!」

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最近は、何かと慌ただしく、制作のモチベも下がり気味で、ブログの更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。 2022年も後数日となりましたが、今年は2月にロシアがウクライナに侵攻し、7月には安部元首相が暗殺され、 ここにきてようやく収束が見えてきたコロナ禍も、中国で感染が急拡大したことにより先行きが懸念される状況となるなど、何とも気分が滅入ることが多い1年でした。 そんな暗いニースが多いなか、私の永遠のアイドル、吉田拓郎さんは、6月に最後のアルバムとなる「ah‐面白かった」をリリース、7月に「Love Love あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」でテレビ出演が終了、そして12月にラジオの「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」が最終回を迎え、芸能活動から完全に引退されました。76歳という年齢を考えれば、致し方ないところではありますが、一つの時代の終わりを痛切に感じてしまいました。 拓郎さんの引退を寂しく思っていたなか、ネットで偶然うれしいお知らせを発見してしまいました。それは、当ブログの第9回でご紹介した、A面1曲目の「ペニーレーンでバーボン」が「ツ〇ボ桟敷」という言葉が問題となって発禁となった関係で、同曲が収録されたオリジナル版が発売中止となっていた名盤「今はまだ人生を語らず」 のオリジナル版が復刻されました。アナログ盤はレコードプレーヤーの廃棄に合わせて処分してしまったので、今度は手放さず一生大事にしていこうと思います。 よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』がオリジナル完全復刻!2022年12月21日発売!|Sony music direct (Japan) inc. (110107.com) 来年は暖かくなるころまでには、ブログを更新したいと思いますので、また是非覗きに来てください。 今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。それでは、良いお年をお迎えください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村