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第24回「ファンキー・モンキー・ベイビー」の巻

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今回は、日本のロックを語るうえで絶対に外せないバンド、キャロルのご紹介です。 キャロルは、昭和47(1972)年、矢沢永吉さん(ベース・ボーカル)の呼びかけに応じたジョニー大倉さん(サイドギター・ボーカル)、内海利勝さん(リードギター)、ユウ岡崎さん(ドラムス)の4人で結成。 横浜のディスコ等で演奏活動を続ける中、フジテレビの番組「リブ・ヤング」での演奏が、ミュージシャン兼プロデューサーのミッキー・カーチスさんの目に留まり、レコードデビューすることになります。 (実は、自分はこの放送を見ていた記憶があります。他の出演者が長髪でチェックのシャツにジーンズという、拓郎さんと同じようなファッションだったのに対して、キャロルはリーゼントに革ジャンといういでたちで、「なんか恐そうな兄ちゃんたちだなー」と彼らを見て当時の自分がそう思ったことを憶えています。) このキャロルのファッションは、ジョニー大倉さんのアイディアらしいのですが、ビートルズがレコードデビュー前のハンブルグでブイブイ言わせていた時代の衣装を参考にしたそうです。(キャロルがデビューする以前、グループサウンズが全盛の頃、 タイガースなどが、 同じビートルズでも「サージェント・ペパーズ」の頃のミリタリールックの衣装を着ていましたが、それよりも古い時代のファッションに着目したのは、さすがのセンスですね。) シンプルな分かりやすい音楽性とこのちょっと悪そうなファッションが、当時のツッパリ系(今でいうヤンチャ系)の兄ちゃん姉ちゃん達の絶大な支持を得て、瞬く間に人気者になっていきます。キャロル登場までは、このようなちょっと不良っぽい若者をターゲットにしたミュージシャンはおらず、その意味でキャロルは新しいマーケットを開拓したと言えるでしょう。 さて、今回ご紹介する「ファンキー・モンキー・ベイビー」は、7枚目のシングルとして、昭和48(1973)年6月リリース(これも50年です!)。30万枚を売り上げ、キャロル最大のヒット曲となりました。 前振りが長くなりました。それでは、お聞きください。ウチのMEIKOが歌います「ファンキー・モンキー・ベイビー」です。 今回もいつものピアプロからすけぇちよさま、はなこさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ガキの頃この曲を最初に聞いた時、「ファンキー・モンキー

第23回「帰れない二人」の巻

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これまで、わがアイドル吉田拓郎さんの曲は3曲ご紹介してきましたが、拓郎さんばかり取り上げて、この人を取り上げないのはいかがなものか、という声にお応えして(誰も言ってないぞw)、今回は井上陽水さんの名曲「帰れない二人」をご紹介します。 この曲は、日本音楽史上初のミリオンセラーアルバムとなった「氷の世界」に先行して発売されたシングル「心もよう」のB面に収録されて昭和48(1973)年9月にリリースされました。(これも今年で50年です!) 陽水さんを始めバックのメンバーは、「帰れない二人」をA面に推していたそうですが、レコード会社の判断で「心もよう」がA面になったそうです。(「心もよう」もよい曲なんですが、今聞くとちょっとベタな感じがします。ただ、当時の音楽的な状況を考えれば、レコード会社の判断としては、これが正解だったんだと思います。) さて、今回の楽曲制作ですが、いつも以上に苦労しました。特に後半の盛り上がりのところが、なかなかオリジナルの雰囲気を出せなくて、とりわけギターソロは難しいフレーズではないんですが、音がイマイチで残念な感じですorz  ただ、ウチのMEIKOは頑張って歌ってますんで、聞いてやってください。 井上陽水さんのカバーで「帰れない二人です。」 如何でしたでしょうか? 今回もいつものピアプロから、素依さま、お茶!さまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 ところで、この曲は陽水さんと、このブログの第1回でご紹介したRCサクセションの忌野清志郎さんの合作です。なんでも、清志郎さんが陽水さんのアパートに遊びに行ったときに、二人で曲を作ろうという話になって、曲は清志郎さんの他の曲のコード進行を参考にして、歌詞は一番を陽水さん、二番は清志郎さんが後日陽水さんに電話で伝えて、この名曲ができたそうです。(清志郎さん談。陽水さんの話では、詩は清志郎さんと1‐2行ずつ交互に作っていったそうです。二人の記憶が全然違うのが可笑しい。) いずれにしても、狭いアパートでエッジのきいた風貌のお二人がギター片手にあれこれ相談している姿を想像すると、なかなかシュールな感じですね。(この時は、二人とも日本を代表するミュージシャンになるなんて想像してなかったでしょうね・・・) ということで、お口(耳)直しはお二人のデュオをお楽しみください。 清志郎さんは

第22回 「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

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今回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今」をご紹介します。 甲斐バンドは福岡出身、昭和49(1974)年にデビュー、バンド名の「甲斐バンド」は元々仮名だったものが、他にしっくりくるものがなかったので、そのまま正式名になったそうです。(ボーカルと作詞・作曲を手掛ける甲斐よしひろさんがバンドの中心であることは間違いないのですが、よくこのバンド名でほかのメンバーが納得したものだと・・・) 今回ご紹介する「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、昭和53(1978)年12月にリリースされた11枚目のシングルで、それまでコンサート活動等を通じて、音楽好きの若者の知名度は高かったものの、一般の人たちにはそれ程知られていませんでしたが、同曲がSEIKOのCMソングに起用されたことで、オリコンの週間チャートで1位を獲得し、バンドの知名度を一気に引き上げることとなりました。それでは、ウチのMEIKOが頑張って歌っています。「HERO(ヒーローになる時、それは今)」お聞きください。 如何でしたでしょうか? 今回も動画作成に当たり、いつものピアプロから、yamaponさま、S20さま、ruceさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲がヒットした頃、自分は親元を離れて学校の寮で生活をしていまして、土曜日の授業が終わり、昼食を食べて自室に戻ると、ラジオのスイッチを入れて「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」を必ず聞いていました。寮の友人たちも同様にこの番組を聞いていて、ほぼ全ての部屋から同じ歌が聞こえていました。 この曲を聴くと、何故かその時の情景をいつも思い出します。(ネットで調べてみたら、土曜の13-14時はスポンサーは変わったものの、40年以上経った今でも音楽ヒットチャート番組をやっている「奇跡の枠」だそうです・・・知らなかった・・・) 恒例のお口(耳)直しですが、ここは素直にご本家のライブをご紹介します。(TBSのザ・ベストテンの録画なので、いつまでUPされているか分かりませんが、・・・・) この当時の甲斐さんは、これこそロック・ボーカリストって感じで、ホントカッコいいですよね。 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回は1カ月後くらいに井上陽水さんの「帰れない二人」をご紹介する予定ですので、また覗きに来

第21回 「なごり雪」の巻

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大変ご無沙汰してしまいました。久々のブログ更新です。 今回は、あら懐かしい昭和のフォークの名曲「なごり雪」をご紹介します。 なごり雪は、フォークグループ、かぐや姫の伊勢正三さんの作詞・作曲で昭和49(1974)年、4枚目のアルバム「三階建の詩」に収録されていますが、世間的には、昭和50(1975)年にリリースされたイルカさんのカバーが有名ですね。このレコードは、累計80万枚を売り上げ、イルカさん最大のヒット曲になりました。 今回のウチのMEIKOのカバーですが、初のコラボ企画ということで、中学・高校時代のお友達のMさんが地方の鉄道や土木建築物の動画をYou TubeにUPしていましたので、お願いしてこの曲にマッチする動画を制作していただきました。いつもとは違う趣きの動画になりましたので、是非ご覧ください。 Mさん、手間暇かけて旅情あふれる動画を作成いただき、ありがとうございましたm(__)m ところで、昭和時代の男女の別れのパターンとしては、「木綿のハンカチーフ」に代表されるように、生まれ故郷から旅立つ男性と故郷に残る女性、というのが一般的ですが、この歌では、東京から離れる女性と東京に残る男性の別離を歌っています。なかなかレアなシチュエーションですが、想像するに、これは父親を説得して東京の大学に来たものの、東京で就職することを強硬に反対されて、しぶしぶ故郷に帰る娘、といったところでしょうか。(結局、旅立つときに見送ってくれるような彼氏を作っていたわけですから、お父さんの懸念は的中したわけですw) さて、恒例のお口(耳?)直しですが、イルカさんとかぐや姫の南こうせつさん、伊勢正三さんが共演している動画を発見しましたので、こちらをご紹介します。 久しぶりにイルカさんの唄声を聞きましたが、しっとりとした情感が素敵ですね。 最後に、今回はどうしてももう一つご紹介したい動画がありまして、自分の余計な説明は抜きに次の動画をお楽しみください。 嘉門達夫さん、天才です!ww 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうござました。次回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」を予定していますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

番外「皆さん、良いお年を!」

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最近は、何かと慌ただしく、制作のモチベも下がり気味で、ブログの更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。 2022年も後数日となりましたが、今年は2月にロシアがウクライナに侵攻し、7月には安部元首相が暗殺され、 ここにきてようやく収束が見えてきたコロナ禍も、中国で感染が急拡大したことにより先行きが懸念される状況となるなど、何とも気分が滅入ることが多い1年でした。 そんな暗いニースが多いなか、私の永遠のアイドル、吉田拓郎さんは、6月に最後のアルバムとなる「ah‐面白かった」をリリース、7月に「Love Love あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」でテレビ出演が終了、そして12月にラジオの「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」が最終回を迎え、芸能活動から完全に引退されました。76歳という年齢を考えれば、致し方ないところではありますが、一つの時代の終わりを痛切に感じてしまいました。 拓郎さんの引退を寂しく思っていたなか、ネットで偶然うれしいお知らせを発見してしまいました。それは、当ブログの第9回でご紹介した、A面1曲目の「ペニーレーンでバーボン」が「ツ〇ボ桟敷」という言葉が問題となって発禁となった関係で、同曲が収録されたオリジナル版が発売中止となっていた名盤「今はまだ人生を語らず」 のオリジナル版が復刻されました。アナログ盤はレコードプレーヤーの廃棄に合わせて処分してしまったので、今度は手放さず一生大事にしていこうと思います。 よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』がオリジナル完全復刻!2022年12月21日発売!|Sony music direct (Japan) inc. (110107.com) 来年は暖かくなるころまでには、ブログを更新したいと思いますので、また是非覗きに来てください。 今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。それでは、良いお年をお迎えください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第20回「湖上の煙/Smoke on the Water」の巻

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今回は、満を持しての登場、皆さんご存知(ですよね?)Deep Purpleのご紹介です。 Deep Purpleは、昭和43(1968)年メジャーデビュー、メンバーチェンジ後の昭和44(1969)年からは、ハードロックバンドとして頭角を表わし(所謂第2期)、昭和47(1972)年8月に初来日。この時のライブアルバム「 Made in Japan 」(邦題は「ライブ・イン・ジャパン」)は、ロック史上に残るライブ アルバムの傑作として評価されており、この後、多くのロックバンドが日本でライブアルバムを発売するようになります。また、会場の日本武道館は、「Budokan」の名前で、ロックのコンサートホールとしてw、広く海外でも知られるようになります。(自分もこのアルバムは生涯で最もよく聴いたアルバムの一つです。) このライブの成功で、Deep Purpleは、日本においては、ハードロックバンドとして、Led Zeppelinと人気を二分する地位を獲得し、(海外では、そこまでの人気なないそうです。)特にギターのRitchie Blackmoreは、我々ロック小僧 たちのアイコンとして、君臨することになりました。 このライブから8月でちょうど50年となることを記念して、以前から彼らの代表曲「Smoke on the water」をこのタイミングでご紹介することを予定していたのですが、なんせウチのMEIKOは英語が苦手なので、どうしたものかと考えていた時に、この歌を日本語で歌っているミュージシャンを思い出しましたw 王様は、上智大学卒業後にパルコに就職したものの、音楽の夢捨てきれず、僅か1年半で退社し、平成7(1995)年にリリースしたDeep Purpleの歌詞を日本語訳したCD「 深紫伝説 」が大ヒットし、日本レコード大賞の企画賞を受賞、直訳ロックというスタイルを確立し、現在もバリバリ活動しています。自分は彼の1つ年下なんですが、同時代に同じようにロックに夢中になり、同じように受験勉強して、同じように就職活動した彼にはとても親近感(と言ったら失礼かな)を持っています。ガキの頃夢中になったもので一生食っていっているわけですから、大したものです。 それでは、ウチのMEIKOがシャウト(?)します、「湖上の煙/Smoke on the water」をお聞きください。 いかがでしたでし

第19回「ライディーン」の巻

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今回も前回に続きYMOの「ライディーン(Rydeen)」をお送りします。この曲は前回ご紹介したアルバム「Solid State Survivor」に収録された楽曲で(後にシングル盤でもリリースされます)、YMOの代表曲として広く認知されています。 作曲は高橋幸宏さんで、なんでも坂本龍一さんと西麻布のバー(青山との説もあり)でお酒を飲んでいた時に、高橋幸宏さんが口ずさんだ鼻歌を坂本龍一さんが紙ナプキンに採譜して、この曲は生まれたんだとか。また、元々のタイトルは、江戸時代の伝説の横綱、雷電為右衛門に因んで「雷電」とする予定でしたが、細野晴臣さんがアメリカで日本のアニメ「勇者ライディーン」が流行している、という話を聞きつけて、だったら、ということで「ライディーン(Rydeen)」になったそうです。 皆さんご存知のように、この曲は唄のないインストゥルメンタルなので、本来であれば、今回うちのMEIKOの出番はありませんが、フツーにコピーしただけでは面白くないので、このブログを覗きに来てくれている皆さんもおそらく一度は口ずさんだことのある、あのお馴染みのメロディーをMEIKOに歌わせてみました。(鼻歌のつもりが絶唱になってしまいましたがw) また、間奏部分(2分37秒位)では、オリジナルにはないドラムソロをアレンジしてみました。自分では結構カッコよく仕上がったと思ってますんで、是非この辺りまで聞いてみてやってください。 それでは、お楽しみくださいYMOのカバーで「Rydeen」です。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、シノヤさま、yusakuさま、トーマさま、konpasuさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお口(耳)直しですが、昭和54(1979)年8月、YMOの海外初公演となるロサンゼルスでのライブをお楽しみください。(ギターは渡辺香津美さん、キーボードは矢野顕子さんの豪華メンバーがサポートしていますので、この辺も注目です。) 前回書きましたようにYMOを結成した細野さんの目標は、世界のマーケットを相手に自分たちの音楽で成功を収めることでしたが、このライブの成功により、YMOは世界的な評価を受けるようになり、また、この時の評判がフィードバックされて、日本でもYMOの人気に火がつくことになりました。 当時、日本