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第22回 「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

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今回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今」をご紹介します。 甲斐バンドは福岡出身、昭和49(1974)年にデビュー、バンド名の「甲斐バンド」は元々仮名だったものが、他にしっくりくるものがなかったので、そのまま正式名になったそうです。(ボーカルと作詞・作曲を手掛ける甲斐よしひろさんがバンドの中心であることは間違いないのですが、よくこのバンド名でほかのメンバーが納得したものだと・・・) 今回ご紹介する「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、昭和53(1978)年12月にリリースされた11枚目のシングルで、それまでコンサート活動等を通じて、音楽好きの若者の知名度は高かったものの、一般の人たちにはそれ程知られていませんでしたが、同曲がSEIKOのCMソングに起用されたことで、オリコンの週間チャートで1位を獲得し、バンドの知名度を一気に引き上げることとなりました。それでは、ウチのMEIKOが頑張って歌っています。「HERO(ヒーローになる時、それは今)」お聞きください。 如何でしたでしょうか? 今回も動画作成に当たり、いつものピアプロから、yamaponさま、S20さま、ruceさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 この曲がヒットした頃、自分は親元を離れて学校の寮で生活をしていまして、土曜日の授業が終わり、昼食を食べて自室に戻ると、ラジオのスイッチを入れて「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」を必ず聞いていました。寮の友人たちも同様にこの番組を聞いていて、ほぼ全ての部屋から同じ歌が聞こえていました。 この曲を聴くと、何故かその時の情景をいつも思い出します。(ネットで調べてみたら、土曜の13-14時はスポンサーは変わったものの、40年以上経った今でも音楽ヒットチャート番組をやっている「奇跡の枠」だそうです・・・知らなかった・・・) 恒例のお口(耳)直しですが、ここは素直にご本家のライブをご紹介します。(TBSのザ・ベストテンの録画なので、いつまでUPされているか分かりませんが、・・・・) この当時の甲斐さんは、これこそロック・ボーカリストって感じで、ホントカッコいいですよね。 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回は1カ月後くらいに井上陽水さんの「帰れない二人」をご紹介する予定ですので、また覗きに来

第21回 「なごり雪」の巻

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大変ご無沙汰してしまいました。久々のブログ更新です。 今回は、あら懐かしい昭和のフォークの名曲「なごり雪」をご紹介します。 なごり雪は、フォークグループ、かぐや姫の伊勢正三さんの作詞・作曲で昭和49(1974)年、4枚目のアルバム「三階建の詩」に収録されていますが、世間的には、昭和50(1975)年にリリースされたイルカさんのカバーが有名ですね。このレコードは、累計80万枚を売り上げ、イルカさん最大のヒット曲になりました。 今回のウチのMEIKOのカバーですが、初のコラボ企画ということで、中学・高校時代のお友達のMさんが地方の鉄道や土木建築物の動画をYou TubeにUPしていましたので、お願いしてこの曲にマッチする動画を制作していただきました。いつもとは違う趣きの動画になりましたので、是非ご覧ください。 Mさん、手間暇かけて旅情あふれる動画を作成いただき、ありがとうございましたm(__)m ところで、昭和時代の男女の別れのパターンとしては、「木綿のハンカチーフ」に代表されるように、生まれ故郷から旅立つ男性と故郷に残る女性、というのが一般的ですが、この歌では、東京から離れる女性と東京に残る男性の別離を歌っています。なかなかレアなシチュエーションですが、想像するに、これは父親を説得して東京の大学に来たものの、東京で就職することを強硬に反対されて、しぶしぶ故郷に帰る娘、といったところでしょうか。(結局、旅立つときに見送ってくれるような彼氏を作っていたわけですから、お父さんの懸念は的中したわけですw) さて、恒例のお口(耳?)直しですが、イルカさんとかぐや姫の南こうせつさん、伊勢正三さんが共演している動画を発見しましたので、こちらをご紹介します。 久しぶりにイルカさんの唄声を聞きましたが、しっとりとした情感が素敵ですね。 最後に、今回はどうしてももう一つご紹介したい動画がありまして、自分の余計な説明は抜きに次の動画をお楽しみください。 嘉門達夫さん、天才です!ww 本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうござました。次回は、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」を予定していますので、また覗きに来てください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

番外「皆さん、良いお年を!」

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最近は、何かと慌ただしく、制作のモチベも下がり気味で、ブログの更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。 2022年も後数日となりましたが、今年は2月にロシアがウクライナに侵攻し、7月には安部元首相が暗殺され、 ここにきてようやく収束が見えてきたコロナ禍も、中国で感染が急拡大したことにより先行きが懸念される状況となるなど、何とも気分が滅入ることが多い1年でした。 そんな暗いニースが多いなか、私の永遠のアイドル、吉田拓郎さんは、6月に最後のアルバムとなる「ah‐面白かった」をリリース、7月に「Love Love あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」でテレビ出演が終了、そして12月にラジオの「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」が最終回を迎え、芸能活動から完全に引退されました。76歳という年齢を考えれば、致し方ないところではありますが、一つの時代の終わりを痛切に感じてしまいました。 拓郎さんの引退を寂しく思っていたなか、ネットで偶然うれしいお知らせを発見してしまいました。それは、当ブログの第9回でご紹介した、A面1曲目の「ペニーレーンでバーボン」が「ツ〇ボ桟敷」という言葉が問題となって発禁となった関係で、同曲が収録されたオリジナル版が発売中止となっていた名盤「今はまだ人生を語らず」 のオリジナル版が復刻されました。アナログ盤はレコードプレーヤーの廃棄に合わせて処分してしまったので、今度は手放さず一生大事にしていこうと思います。 よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』がオリジナル完全復刻!2022年12月21日発売!|Sony music direct (Japan) inc. (110107.com) 来年は暖かくなるころまでには、ブログを更新したいと思いますので、また是非覗きに来てください。 今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。それでは、良いお年をお迎えください。ではでは。 (よろしかったら、以下をクリックしてください。) にほんブログ村

第20回「湖上の煙/Smoke on the Water」の巻

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今回は、満を持しての登場、皆さんご存知(ですよね?)Deep Purpleのご紹介です。 Deep Purpleは、昭和43(1968)年メジャーデビュー、メンバーチェンジ後の昭和44(1969)年からは、ハードロックバンドとして頭角を表わし(所謂第2期)、昭和47(1972)年8月に初来日。この時のライブアルバム「 Made in Japan 」(邦題は「ライブ・イン・ジャパン」)は、ロック史上に残るライブ アルバムの傑作として評価されており、この後、多くのロックバンドが日本でライブアルバムを発売するようになります。また、会場の日本武道館は、「Budokan」の名前で、ロックのコンサートホールとしてw、広く海外でも知られるようになります。(自分もこのアルバムは生涯で最もよく聴いたアルバムの一つです。) このライブの成功で、Deep Purpleは、日本においては、ハードロックバンドとして、Led Zeppelinと人気を二分する地位を獲得し、(海外では、そこまでの人気なないそうです。)特にギターのRitchie Blackmoreは、我々ロック小僧 たちのアイコンとして、君臨することになりました。 このライブから8月でちょうど50年となることを記念して、以前から彼らの代表曲「Smoke on the water」をこのタイミングでご紹介することを予定していたのですが、なんせウチのMEIKOは英語が苦手なので、どうしたものかと考えていた時に、この歌を日本語で歌っているミュージシャンを思い出しましたw 王様は、上智大学卒業後にパルコに就職したものの、音楽の夢捨てきれず、僅か1年半で退社し、平成7(1995)年にリリースしたDeep Purpleの歌詞を日本語訳したCD「 深紫伝説 」が大ヒットし、日本レコード大賞の企画賞を受賞、直訳ロックというスタイルを確立し、現在もバリバリ活動しています。自分は彼の1つ年下なんですが、同時代に同じようにロックに夢中になり、同じように受験勉強して、同じように就職活動した彼にはとても親近感(と言ったら失礼かな)を持っています。ガキの頃夢中になったもので一生食っていっているわけですから、大したものです。 それでは、ウチのMEIKOがシャウト(?)します、「湖上の煙/Smoke on the water」をお聞きください。 いかがでしたでし

第19回「ライディーン」の巻

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今回も前回に続きYMOの「ライディーン(Rydeen)」をお送りします。この曲は前回ご紹介したアルバム「Solid State Survivor」に収録された楽曲で(後にシングル盤でもリリースされます)、YMOの代表曲として広く認知されています。 作曲は高橋幸宏さんで、なんでも坂本龍一さんと西麻布のバー(青山との説もあり)でお酒を飲んでいた時に、高橋幸宏さんが口ずさんだ鼻歌を坂本龍一さんが紙ナプキンに採譜して、この曲は生まれたんだとか。また、元々のタイトルは、江戸時代の伝説の横綱、雷電為右衛門に因んで「雷電」とする予定でしたが、細野晴臣さんがアメリカで日本のアニメ「勇者ライディーン」が流行している、という話を聞きつけて、だったら、ということで「ライディーン(Rydeen)」になったそうです。 皆さんご存知のように、この曲は唄のないインストゥルメンタルなので、本来であれば、今回うちのMEIKOの出番はありませんが、フツーにコピーしただけでは面白くないので、このブログを覗きに来てくれている皆さんもおそらく一度は口ずさんだことのある、あのお馴染みのメロディーをMEIKOに歌わせてみました。(鼻歌のつもりが絶唱になってしまいましたがw) また、間奏部分(2分37秒位)では、オリジナルにはないドラムソロをアレンジしてみました。自分では結構カッコよく仕上がったと思ってますんで、是非この辺りまで聞いてみてやってください。 それでは、お楽しみくださいYMOのカバーで「Rydeen」です。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、シノヤさま、yusakuさま、トーマさま、konpasuさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 さて、恒例のお口(耳)直しですが、昭和54(1979)年8月、YMOの海外初公演となるロサンゼルスでのライブをお楽しみください。(ギターは渡辺香津美さん、キーボードは矢野顕子さんの豪華メンバーがサポートしていますので、この辺も注目です。) 前回書きましたようにYMOを結成した細野さんの目標は、世界のマーケットを相手に自分たちの音楽で成功を収めることでしたが、このライブの成功により、YMOは世界的な評価を受けるようになり、また、この時の評判がフィードバックされて、日本でもYMOの人気に火がつくことになりました。 当時、日本

第18回「テクノポリス」の巻

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今回と次回は、皆さん大好き(かな?) YMO の曲をお送りしたいと思います。 前回ご紹介した「はっぴいえんど」の解散後、細野晴臣さんはソロ活動等を経て、当時急速に進化したシンセサイザー等の電子楽器を用いて、「エキゾチカ」と呼ばれる 1950 ‐ 60 年代にアメリカで流行した南太平洋や東洋をイメージさせるムード音楽を演奏することを思いつきます。これは、欧米の白人がイメージする「東洋」を日本人が演奏するという、何とも倒錯的なものですが、この着想を細野さんは自宅のコタツを囲んで坂本龍一さん(キーボード)と(以前ご紹介した元サディスティック・ミカ・バンドの)高橋幸宏さん(ドラム)に説明して、「世界でレコードを 400 万枚売る。」と豪語したそうです。そして、二人の賛同を得て、昭和 53 ( 1978 )年に YMO ( Yellow Magic Orchestra )が結成されました。 今回ご紹介する「テクノポリス(Technopolis)」は、昭和54(1979)年9月にリリースされたYMOの2枚目のアルバム「Solid State Survivor」のA面1曲目に収録されたYMOを代表する1曲です。 この曲は、DTMを趣味としている自分くらいの年代の人であれば、恐らく誰でもカバーしてみたい曲ではないかと思います。自分もどうしてもやってみたくて、結構な値段で古本のバンドスコアを購入して、挑戦してみました。 それでは、YMOのカバーで「Technopolis」です。 お聞きください。 今回もいつものピアプロから、Dinoさま、レイモンド毒島さま、nonor様の素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございましたm(__)m さて、この「Solid State Survivor」は累計で100万枚を超えるセールスを記録し、音楽だけではなく、ファッション等にも多大の影響を与え、日本に「テクノブーム」を巻き起こすことになります。 前回ご紹介した「風をあつめて」から僅か8年で同一人物が制作したとは思えない全く異なる音楽世界を作り上げて、一大ブームを巻き起こす程の大衆性を獲得した細野晴臣さんは、以前ご紹介した加藤和彦さんと並んで、日本のポピュラー音楽界のまさに天才だと思います。 恒例のお口(耳)直しは、昭和55(1980)年6月にフジテレビの「夜のヒットスタジオ」で

第17回「風をあつめて」の巻

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今回ご紹介する「風をあつめて」は、昭和 46 ( 1971 )年 11 月にリリースされた、はっぴいえんどの 2 枚目のアルバム「風街ろまん」に収録された、昭和 40 年代の日本のポピュラー音楽を代表する楽曲で、これまで多数のミュージシャンにカバーされ、現在でも CM ソングに起用されるなど、時代を超えた名曲として評価されています。 さて、この「風街ろまん」ですが、発売当初は一部のマニア以外には、 世間的に 殆ど認知されることはありませんでした。しかし、はっぴいえんどのメンバー:細野晴臣(ベース)、大瀧詠一(ギター) 、鈴木茂(ギター) 、松本隆(ドラム)のその後の活躍により、このアルバムの評価はどんどん上がって、 音楽雑誌などが時折企画する「日本の名盤ロックアルバム」といったアンケートでは、半世紀たった現在でも必ずBEST3には入っており、「日本のロックはすべてここから始まった」的な、半ば神格化されたステータスを獲得しています。(考えてみれば、今の10~20代の人たちが「日本のロックアルバム」なんてアンケートに投票するわけもなく、いつも大体同じようなジジイやオッサンが回答しているものと思われますw) 音楽的なことについては、私のようなトーシローがここでお話することはありませんが、上に掲載した、お世辞にも「爽やか」とは言えない無愛想な若者4人の顔のアップのアルバムジャケットは、「もうちょっとどうにかならなかったのか」と思います。 アルバム制作当時、メンバーにもこのデザイン案は評判が悪かったようなので、後世このアルバムが「歴史的名盤」と評価されると知っていれば、本人たちももっと強硬に反対していたでしょう。(ちなみにアルバムの見開きのイラストはこちらです。自分はこのイラスト気に入っていて、タイトル「風街ろまん」のイメージにもピッタリだと思います。) 前置きがすっかり長くなりました。この辺でウチのMEIKOをご紹介したいと思います。「風をあつめて」お聞きください。 如何でしたでしょうか?今回もいつものピアプロから、 柚子茶 さま、expoxy_puttyさまの素敵なイラストを利用させていただきました。ありがとうございました。 出来栄えとしては、オリジナルの雰囲気がまぁまぁ出せたのではないかと、個人的には思っています。 さて、この曲の作詞は、皆さんご存じ、この後日本のポ